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佐久地方の古代遺産 ―縄文時代〈草創期・早期〉―

縄文時代とは

今から1万5000〜2400年前までの約1万2000年間を縄文時代と呼びます。江戸時代ですら260年間ですから、気の遠くなるような長い時代といえます。
縄文時代の始めは寒い氷河期でしたが、1万1500年前に氷河期が終わり、地球が徐々に温暖化していきました。針葉樹林の一部は、落葉広葉樹林や照葉樹林にかわり、木の実のなる豊かな森が現れました。また縄文時代の始めには、すでにナウマンゾウなど氷河時代の大型動物は絶滅していたようです。縄文時代は、草創期(1万5000〜1万年前)・早期(1万〜6000年前)・前期(6000〜5000年前)・中期(5000〜4000年前)・後期(4000〜3000年前)・晩期(3000〜2400年前)の6つに分けられています。
人々は、コメ作りなどの農耕を知らず、海や川、山の幸を利用した狩猟採集生活をしていました。その生活を支えたのが縄文時代初めに発明された弓矢や土器です。弓矢という飛び道具は、敏捷なシカやイノシシの狩りに優れた威力を発揮しました。また、土器の発明は、食料を煮て味のバラエティを増やし、煮沸という衛生面でも一役買っていました。
生活スタイルも、獲物を追い住居を移す移動生活から定住生活へと変化していきました。人々が集まり暮らすようになると大規模なムラが出現するようにもなりました。

佐久地方最古の縄文遺跡‒草創期‒

1965年、北相木村の入り口付近の崖から、「山国のタイムカプセル」とも呼ばれる栃原岩陰遺跡が発見されました。
深さ5mの土中からは、土器や石器、たくさんの骨角器が見つかり、人骨も発見されました。通常日本の土壌は酸性のため骨などの有機物は溶けてしまうのですが、炉の灰のアルカリ分などが幸いし、人や動物の骨などが残ったと推測されます。
栃原からは成人男女8体、幼児2体、新生児2体の骨が発見されました。成人骨のうち男女2体は引き締まった小顔の持ち主で、約9500年前という年代測定結果がでています。この古さは、日本で5本の指に入る良好な人骨として注目されます。その栃原人が身につけていたのは、遠く太平洋から運ばれてきたタカラガイのペンダントでした。
栃原人が骨を削って作った道具に、針や釣り針があります。この針は、現在の縫い針と並べても遜色ないほど精巧に作られています。この針で暖かな毛皮の衣類などが縫われたのでしょう。釣り針は、目の前の相木川で、魚釣りが行われた重要な証拠です。
栃原岩陰遺跡は、佐久地方に暮らした早期縄文人の、生活スタイルや食文化など様々なことを我々に教えてくれます。

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