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(2011年3月11日)
「遺跡は遠くにある特別なもの」と思われがちですが、佐久地方では約2500箇所で遺跡が発見されています。そんな身近にある佐久地方の古代遺産を連載で紹介します。
今から20万年前アフリカ大陸に現生人類があらわれ、その後数万年をかけて世界中に移動していきました。私たちの祖先が日本列島にやってきたのは4万年程前、旧石器時代と呼ばれる時代でした。この頃は今よりずっと寒い氷河時代で、ナウマンゾウやヘラジカなど大型獣が佐久地方の大地を歩いていました。その証拠となるナウマンゾウの歯の化石が佐久地方で見つかっています。旧石器時代の人々は移動生活をしながら、石ヤリなどの石器を使い、獣を追っていました。石器には切れ味の良い石が選ばれましたが、中でも佐久穂町麦草峠の黒こくようせき耀石は良質で、東京都武蔵台遺跡をはじめ神奈川、静岡、千葉、新潟などへも麦草峠ブランドの黒曜石が運ばれていたことが分かっています。
私たちの祖先が日本列島にやってきた最初の足跡が佐久地方にも残されています。佐久市立科F遺跡で、1990年春、環状のキャンプ跡が発見されました。石器の中には台形をした石器が含まれており、黒耀石の年代測定の結果、最も古い3万1千年前のものであることが分かりました。この頃の遺跡は全国で80箇所程しか発見されていないとても希少なものです。キャンプは中央広場を囲んで20mほどの範囲に広がり、黒耀石の石器を使い、十数名が生活していたと考えられています。同じ頃のものに、佐久市八風山Ⅱ遺跡があります。ここではネズミ色の安山岩が石器材料に使われていました。人々は安山岩を細長く割り、石刃を作り、根元に加工を施して石ヤリに仕上げ、狩りをしていたようです。
上信越自動車道開通に追い立てられるように発掘が進められていた下しももうち茂内遺跡から、1988年に石ヤリの製作アトリエが発見されました。遺跡のある八風山麓は、石器の材料となるガラス質の黒色安山岩が産出する場所で、川原で洗い出された原石を抜き取って石器製作を行っていたと考えられ、出土した石器はなんと7万点にも及びました。1995年には同じ八風山麓で八風山Ⅵ遺跡の発掘が始まりました。この遺跡では無数の石クズが出土したため、石ヤリの作られた順序で石クズを接合していくと、立体のジグソーパズルが完成しました。このジグソーパズルから、旧石器人が石の性質を的確に見極めた上で、石を打ち砕き、ヤリを作っていたことがわかります。
1953年、南牧村矢やでがわ出川遺跡で、日本で初めて細さいせきじん石刃と呼ばれる小さな石器が発見されました。発見したのは川上村の考古学者・由井茂也さん。とても小さく見過ごしてしまいがちな小指の爪ほどのミニ石器を、畑の中から発見したのです。矢出川の細石刃は幅1㎝以下で剃刀の刃のような形をしており、いくつかがヤリ先に埋め込まれて使われたとみられています。由井さんのひたむきな調査によるこの発見は、その後北海道から鹿児島まで全国1800か所の遺跡発見につながりました。
※本誌記事・写真・イラストの無断転載は著作権の侵害となりますので固くお断りいたします。
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「遺跡は遠くにある特別なもの」と思われがちですが、佐久地方では約2500箇所で遺跡が発見されています。そんな身近にある佐久地方の古代遺産を連載で紹介します。
旧石器時代とは
今から20万年前アフリカ大陸に現生人類があらわれ、その後数万年をかけて世界中に移動していきました。私たちの祖先が日本列島にやってきたのは4万年程前、旧石器時代と呼ばれる時代でした。この頃は今よりずっと寒い氷河時代で、ナウマンゾウやヘラジカなど大型獣が佐久地方の大地を歩いていました。その証拠となるナウマンゾウの歯の化石が佐久地方で見つかっています。
旧石器時代の人々は移動生活をしながら、石ヤリなどの石器を使い、獣を追っていました。石器には切れ味の良い石が選ばれましたが、中でも佐久穂町麦草峠の黒こくようせき耀石は良質で、東京都武蔵台遺跡をはじめ神奈川、静岡、千葉、新潟などへも麦草峠ブランドの黒曜石が運ばれていたことが分かっています。
3万年前のキャンプ跡
私たちの祖先が日本列島にやってきた最初の足跡が佐久地方にも残されています。佐久市立科F遺跡で、1990年春、環状のキャンプ跡が発見されました。石器の中には台形をした石器が含まれており、黒耀石の年代測定の結果、最も古い3万1千年前のものであることが分かりました。この頃の遺跡は全国で80箇所程しか発見されていないとても希少なものです。キャンプは中央広場を囲んで20mほどの範囲に広がり、黒耀石の石器を使い、十数名が生活していたと考えられています。
同じ頃のものに、佐久市八風山Ⅱ遺跡があります。ここではネズミ色の安山岩が石器材料に使われていました。人々は安山岩を細長く割り、石刃を作り、根元に加工を施して石ヤリに仕上げ、狩りをしていたようです。
出土した石クズから分かること
上信越自動車道開通に追い立てられるように発掘が進められていた下しももうち茂内遺跡から、1988年に石ヤリの製作アトリエが発見されました。遺跡のある八風山麓は、石器の材料となるガラス質の黒色安山岩が産出する場所で、川原で洗い出された原石を抜き取って石器製作を行っていたと考えられ、出土した石器はなんと7万点にも及びました。
1995年には同じ八風山麓で八風山Ⅵ遺跡の発掘が始まりました。この遺跡では無数の石クズが出土したため、石ヤリの作られた順序で石クズを接合していくと、立体のジグソーパズルが完成しました。このジグソーパズルから、旧石器人が石の性質を的確に見極めた上で、石を打ち砕き、ヤリを作っていたことがわかります。
日本で初めて発見されたミニ石器
1953年、南牧村矢やでがわ出川遺跡で、日本で初めて細さいせきじん石刃と呼ばれる小さな石器が発見されました。発見したのは川上村の考古学者・由井茂也さん。とても小さく見過ごしてしまいがちな小指の爪ほどのミニ石器を、畑の中から発見したのです。矢出川の細石刃は幅1㎝以下で剃刀の刃のような形をしており、いくつかがヤリ先に埋め込まれて使われたとみられています。由井さんのひたむきな調査によるこの発見は、その後北海道から鹿児島まで全国1800か所の遺跡発見につながりました。
※本誌記事・写真・イラストの無断転載は著作権の侵害となりますので固くお断りいたします。