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(2025年1月24日)
なかじま ななこ 1967年小海町生まれ 26歳からエアロビクスのインストラクターとして活動39歳のときに小海町にUターンし、ヨガ・ピラティスのインストラクターとして活動 2023年ベストボディジャパン甲府大会3位、2024年長野大会4位8月BODY MAKE CUP女子スポーツウェア40歳以上部門オーディエンス賞受賞 10月SUMMER STYLE AWARD大奥大会レギンスモデル部門グランドジェネレーションクラス優勝
幼い頃はダンスが好きで、当時流行っていたアイドルの振り付けを鏡の前で踊っていました。中学生時代はバスケットボール部に所属していましたが、身長が低かったこともあり補欠選手でした。
高校を卒業後に上京し、アパレルの会社に入社して販売員をしていました。仕事仲間と飲みに行くことが増え、自社ブランドの服がパンパンになってしまうほど体重が増加。当時の店長に「痩せなさい!」と活を入れられてスポーツクラブに通いました。そこで出会ったエアロビクスのインストラクターがとても素敵な方で、自分にとって憧れの存在となり、「自分も同じようになりたい」と決心し、エアロビクスインストラクターの養成学校に入学しました。
26歳でインストラクターとしてデビューし、販売員の仕事と両立させていましたが、アパレル会社が倒産したことをきっかけにエアロビクスのインストラクターに専念し、その後ヨガやピラティスのインストラクターの資格も取得しました。
小海町に少しでも活気が出るようにとの思いからヨガ教室を開催。活動の様子は「小海ヨガ教室」で検索を
東京で活動しているときは地元に戻ることは頭にはありませんでした。しかし、39歳のときに父親が亡くなり、小海町に戻ろうとUターンを決意。18歳からずっと東京で暮らしてきたため、周りは知らない方ばかり。どうやって地元の方と顔見知りになろうかと考えていたときに、ヨガインストラクターの経験を活かして地域の活動に参加してはどうかと誘ってくださる方がいました。そこからヨガや体操教室などを地元で開催するようになり、現在は自宅を改装しての小規模のヨガ教室も行っています。
地元に戻った後、祖母と母親の介護も経験しました。介護の知識も経験も無かったため、どうして良いかわからないことが多くありましたが、ケアマネージャーやヘルパーなど、その道のプロにたくさん助けていただきました。介護を通じて相手の気持ちに寄り添うことを学ばせていただきました。
インストラクターの活動を通して祖母や母親を知っている方と出会うこともあり、昔話を聞くことで忘れていたことを思い出したり、懐かしい気持ちを持つことも楽しい瞬間になっています。
「SUMMER STYLE AWARDに初出場で優勝することができたのは家族や周りの人たちの支えがあったから」と中島さん
2023年に知人がボディコンテストに出場したため、応援に行きました。その華やかさと高揚感に驚き、「自分も大会に出てみたい、あのステージに立ちたい」と考えてパーソナルジムに通い始め、9月にベストボディジャパン甲府大会に出場して3位入賞を果たしました。
2024年はSUMMER STYLE AWARDに応募。トレーニングメニュー作成や食事指導、ストレス解消のアドバイスをしてくれたジムのトレーナー、ポージング指導をしてくださった先生の支えもあり、レギンスモデル部門グランドジェネレーションクラスで優勝することができました。今後はこの経験を活かし、地元の方が健康で生き生きと生活できるようにお手伝いをしながら還元できたらと考えています。また、自分自身を高めるため、これからも大会に出場していきたいです。
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なかじま ななこ 1967年小海町生まれ 26歳からエアロビクスのインストラクターとして活動39歳のときに小海町にUターンし、ヨガ・ピラティスのインストラクターとして活動 2023年ベストボディジャパン甲府大会3位、2024年長野大会4位8月BODY MAKE CUP女子スポーツウェア40歳以上部門オーディエンス賞受賞 10月SUMMER STYLE AWARD大奥大会レギンスモデル部門グランドジェネレーションクラス優勝
インストラクターに憧れて
幼い頃はダンスが好きで、当時流行っていたアイドルの振り付けを鏡の前で踊っていました。中学生時代はバスケットボール部に所属していましたが、身長が低かったこともあり補欠選手でした。
高校を卒業後に上京し、アパレルの会社に入社して販売員をしていました。仕事仲間と飲みに行くことが増え、自社ブランドの服がパンパンになってしまうほど体重が増加。当時の店長に「痩せなさい!」と活を入れられてスポーツクラブに通いました。そこで出会ったエアロビクスのインストラクターがとても素敵な方で、自分にとって憧れの存在となり、「自分も同じようになりたい」と決心し、エアロビクスインストラクターの養成学校に入学しました。
26歳でインストラクターとしてデビューし、販売員の仕事と両立させていましたが、アパレル会社が倒産したことをきっかけにエアロビクスのインストラクターに専念し、その後ヨガやピラティスのインストラクターの資格も取得しました。
小海町に少しでも活気が出るようにとの思いからヨガ教室を開催。活動の様子は「小海ヨガ教室」で検索を
地元に戻って活動を続ける
東京で活動しているときは地元に戻ることは頭にはありませんでした。しかし、39歳のときに父親が亡くなり、小海町に戻ろうとUターンを決意。18歳からずっと東京で暮らしてきたため、周りは知らない方ばかり。どうやって地元の方と顔見知りになろうかと考えていたときに、ヨガインストラクターの経験を活かして地域の活動に参加してはどうかと誘ってくださる方がいました。そこからヨガや体操教室などを地元で開催するようになり、現在は自宅を改装しての小規模のヨガ教室も行っています。
地元に戻った後、祖母と母親の介護も経験しました。介護の知識も経験も無かったため、どうして良いかわからないことが多くありましたが、ケアマネージャーやヘルパーなど、その道のプロにたくさん助けていただきました。介護を通じて相手の気持ちに寄り添うことを学ばせていただきました。
インストラクターの活動を通して祖母や母親を知っている方と出会うこともあり、昔話を聞くことで忘れていたことを思い出したり、懐かしい気持ちを持つことも楽しい瞬間になっています。
周りの人に支えられて優勝
「SUMMER STYLE AWARDに初出場で優勝することができたのは家族や周りの人たちの支えがあったから」と中島さん
2023年に知人がボディコンテストに出場したため、応援に行きました。その華やかさと高揚感に驚き、「自分も大会に出てみたい、あのステージに立ちたい」と考えてパーソナルジムに通い始め、9月にベストボディジャパン甲府大会に出場して3位入賞を果たしました。
2024年はSUMMER STYLE AWARDに応募。トレーニングメニュー作成や食事指導、ストレス解消のアドバイスをしてくれたジムのトレーナー、ポージング指導をしてくださった先生の支えもあり、レギンスモデル部門グランドジェネレーションクラスで優勝することができました。今後はこの経験を活かし、地元の方が健康で生き生きと生活できるようにお手伝いをしながら還元できたらと考えています。また、自分自身を高めるため、これからも大会に出場していきたいです。