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(2021年1月26日)
きくち ひでお 1949年旧臼田町生まれ 高校卒業後小諸の企業に就職するが自分の力を試そうと思い東京のデザイン学校に入学 半年後に閉校してしまうが独学で絵画の勉強をする デザイン会社に就職35歳のときに故郷の風景を題材にしたのらっこ絵本シリーズ第1弾「さんねんごい」出版以後、のらっこシリーズなど絵本出版の他自作の歌を歌う
小学校から帰ると、よく「野良」に行って遊んでいました。当時の少年の娯楽といえば「少年○○」などの月刊誌。夢中になって読み、将来は漫画家になることを夢見ていました。夏休みの自由研究も理科の課題をするよりは1枚絵を描いて提出。それが賞を取ったこともあり、絵は得意でした。自然の中で友達と遊ぶことも好きでしたが、文学作品を読むことも好きだったのでよく小学校の図書館に出入りしていました。ドリトル先生シリーズやトム・ソーヤの冒険などが好きで、ミシシッピ川と千曲川を重ね合わせていろいろ空想したりしていました。
高校卒業後に小諸の企業に就職したものの、夢をあきらめきれず、一度は自分の力を試してみたいと東京にある漫画家養成専門のデザイン学校に入学しました。ところが、入学半年後に学校が閉校。不安が募る中、独学で絵の勉強を続けていた頃に、知り合いの紹介で東京のデザイン会社に就職することができました。この時仲間のデザイナーの紹介で絵本作家の田島征三さんに出会えたことは、「絵本作家」という新しい世界への扉を開く転機となり、本当に感謝しています。
1981年に初出版された「やまばと」。生命の尊さと不思議さ」というメッセージが込められています
幸運なめぐりあわせから、1981年に絵本作家として絵本を出版することができました。その後、福音館書店こどものともで、出身地である臼田の原風景を題材にした「のらっこ」シリーズを10冊まで出版。現在11作目を目指して構想中です。
今は随分と山里の風景が変わってしまいました。1970年代にはどんな田舎も道路が整備され、川はコンクリートに固められてしまいました。生活は便利になりましたが、大切な生態系を失ったような気がして、この先どうなってしまうのかわかりません。うまく生態系が維持できていたのは50年くらい前までだと思います。人と生物が共存していた時代の自然や生活の在り方を「のらっこ」シリーズには描いています。失われていく原風景に危機感を覚え、20代から構想を練り、着手から5年ほどかけて描き上げた「やまばと」には特別な思いがあります。ぜひ多くの方に読んでいただけたら嬉しく思います。
満天座のメンバーと。菊池さんの思いを歌にのせて
歌でも自分の思いを発信していきたいと思い、今住んでいる埼玉県小川町の仲間とフォークソンググループ「満天座」を結成しました。それぞれ仕事が違うメンバーが集まり月に1度ライブをしています。主なメンバーは5人ですが、その時々で流動的に変わることもあります。歌ありトークありのライブは、飛び入りで弾き語りなどの参加もOKの全員参加型ですが、現在はコロナの影響で中止しています。
故郷臼田のお祭りをテーマにした歌「はるまつり」の中に「まつりが来るたび思い出す 楽しかったおさないころ」という歌詞があります。あの頃のまま、今でも心の中には半世紀前の故郷臼田の風景が鮮明に残っています。これからも絵本や歌を通して自然と人とのかかわりや命の大切さをたくさんの人に伝えていける作品を作っていきたいと思っています。
月刊ぷらざ編集部(株式会社信州広告社)
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きくち ひでお 1949年旧臼田町生まれ 高校卒業後小諸の企業に就職するが自分の力を試そうと思い東京のデザイン学校に入学 半年後に閉校してしまうが独学で絵画の勉強をする デザイン会社に就職35歳のときに故郷の風景を題材にしたのらっこ絵本シリーズ第1弾「さんねんごい」出版以後、のらっこシリーズなど絵本出版の他自作の歌を歌う
自然と文学が好きな少年
小学校から帰ると、よく「野良」に行って遊んでいました。当時の少年の娯楽といえば「少年○○」などの月刊誌。夢中になって読み、将来は漫画家になることを夢見ていました。夏休みの自由研究も理科の課題をするよりは1枚絵を描いて提出。それが賞を取ったこともあり、絵は得意でした。自然の中で友達と遊ぶことも好きでしたが、文学作品を読むことも好きだったのでよく小学校の図書館に出入りしていました。ドリトル先生シリーズやトム・ソーヤの冒険などが好きで、ミシシッピ川と千曲川を重ね合わせていろいろ空想したりしていました。
高校卒業後に小諸の企業に就職したものの、夢をあきらめきれず、一度は自分の力を試してみたいと東京にある漫画家養成専門のデザイン学校に入学しました。ところが、入学半年後に学校が閉校。不安が募る中、独学で絵の勉強を続けていた頃に、知り合いの紹介で東京のデザイン会社に就職することができました。この時仲間のデザイナーの紹介で絵本作家の田島征三さんに出会えたことは、「絵本作家」という新しい世界への扉を開く転機となり、本当に感謝しています。
故郷の自然を題材に
1981年に初出版された「やまばと」。生命の尊さと不思議さ」というメッセージが込められています
幸運なめぐりあわせから、1981年に絵本作家として絵本を出版することができました。その後、福音館書店こどものともで、出身地である臼田の原風景を題材にした「のらっこ」シリーズを10冊まで出版。現在11作目を目指して構想中です。
今は随分と山里の風景が変わってしまいました。1970年代にはどんな田舎も道路が整備され、川はコンクリートに固められてしまいました。生活は便利になりましたが、大切な生態系を失ったような気がして、この先どうなってしまうのかわかりません。うまく生態系が維持できていたのは50年くらい前までだと思います。人と生物が共存していた時代の自然や生活の在り方を「のらっこ」シリーズには描いています。失われていく原風景に危機感を覚え、20代から構想を練り、着手から5年ほどかけて描き上げた「やまばと」には特別な思いがあります。ぜひ多くの方に読んでいただけたら嬉しく思います。
命の大切さを伝えていく
満天座のメンバーと。菊池さんの思いを歌にのせて
歌でも自分の思いを発信していきたいと思い、今住んでいる埼玉県小川町の仲間とフォークソンググループ「満天座」を結成しました。それぞれ仕事が違うメンバーが集まり月に1度ライブをしています。主なメンバーは5人ですが、その時々で流動的に変わることもあります。歌ありトークありのライブは、飛び入りで弾き語りなどの参加もOKの全員参加型ですが、現在はコロナの影響で中止しています。
故郷臼田のお祭りをテーマにした歌「はるまつり」の中に「まつりが来るたび思い出す 楽しかったおさないころ」という歌詞があります。あの頃のまま、今でも心の中には半世紀前の故郷臼田の風景が鮮明に残っています。これからも絵本や歌を通して自然と人とのかかわりや命の大切さをたくさんの人に伝えていける作品を作っていきたいと思っています。