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(2024年5月24日)
こばやし けいた 1991年小諸市生まれ 6歳でレスリングを始める 長野県小諸高等学校、日本体育大学でレスリング競技を続ける 大学卒業後体育教諭となり、現在は小諸商業高等学校に勤務し、レスリング部顧問となる 令和5年度天皇杯全日本レスリング選手権大会130kgグレコローマンスタイル第3位 2024シニアアジア選手権大会出場
祖父が長野県レスリング協会第3代会長(故・小林靖さん)だったので、幼少期に何かスポーツをしようと思ったとき、身近にあった
のは当然レスリングでした。年長の時に競技を始めましたが、祖父は結果が出るととても喜び、どんなときも見守ってくれる大きな存在でした。 小学6年生のときに全国大会で優勝し、中学時代には全国大会で2位にな
ることができましたが、高校に入ってからはケガに悩まされました。3年生になる少し前に尊敬する祖父が亡くなり、左肘脱臼という大きなケガもして選抜大会に出られず、思うようなトレーニングも積めませんでした。 進路選択をする中で、「将来は自分も祖父のような体育教員になりたい」と思うようになり、祖父と同じく日本体育大学に進み体育教員になりました。教職に就いて最初の数年は選手として大会に出ていましたが、コロナ
禍の社会人大会中止、生徒の大会引率と社会人の大会が重なることもあり、しばらくは大会から遠ざかっていました。しかし2023年、自校のレスリング部員が当時3年生の美齊津楓雅さん(現・日体大1年)ひとりだけになり、部活動はマンツーマン指導となったため、試合形式での練習をする中で「そろそろ自分自身もチャレンジしても良いのでは」という気持ちが沸き上がり、大会出場を意識してトレーニングを重ねるようになりました。
表彰式後の一コマ。「表彰台から見える景色は格別でした」
「美齊津とふたりで賞状をもらえれば話題になる」と思い、2023年9月にかごしま国体に成年選手として出場。美齊津さんは3位でしたが、自分は思うようにはいきませんでした。10月の社会人オープン選手権では2位入賞、天皇杯(全日本選手権)にも出場しました。天皇杯は高校生の頃から憧れてきた舞台。フリーは1回戦負けでしたが、グレコローマンで3位入賞。A級審判資格を持っているため普段生徒の試合でしている審判の経験も生かすことができました。落ち着いて試合の展開を考えられたため、点数も取れ、満足のいく結果を残すことができました。表彰台は中学生以来17年ぶり。コツコツと続けていると良いことがあるものだなと実感しました。 教員をしながら選手を続けているため、生徒や保護者、恩師、キッズクラブの教え子、職場の先生方などたくさんの方に後押ししていただきました。選手として成績を残せたことは嬉しいですが、自分にとっての一番はやはり教員の仕事です。仕事との両立は大変ですが、やりたいことを部活動でもさせていただいている恵まれた環境に感謝し、これからも手を抜かず地道に取り組んでいきたいと思っています。
2024年4月にはキルギスで行われた国際大会「アジア選手権」にも出場しました
自分が子どものころに通っていた「小諸キッズレスリングクラブ」に今は指導者として関わっています。幼児や小学生にはレスリングの魅力を伝え好きになってもらい、中学・高校の成長段階で実力を伸ばせるよう「好き」と「勝てる」ことのバランスが取れた選手を育成してい
きたいです。選手としては、もう一度表彰台に登れるよう、体が続く限り、ケガをしない程度に、楽しく続けていきたいです。
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こばやし けいた 1991年小諸市生まれ 6歳でレスリングを始める 長野県小諸高等学校、日本体育大学でレスリング競技を続ける 大学卒業後体育教諭となり、現在は小諸商業高等学校に勤務し、レスリング部顧問となる 令和5年度天皇杯全日本レスリング選手権大会130kgグレコローマンスタイル第3位 2024シニアアジア選手権大会出場
原点は祖父・小林靖
祖父が長野県レスリング協会第3代会長(故・小林靖さん)だったので、幼少期に何かスポーツをしようと思ったとき、身近にあった
のは当然レスリングでした。年長の時に競技を始めましたが、祖父は結果が出るととても喜び、どんなときも見守ってくれる大きな存在でした。 小学6年生のときに全国大会で優勝し、中学時代には全国大会で2位にな
ることができましたが、高校に入ってからはケガに悩まされました。3年生になる少し前に尊敬する祖父が亡くなり、左肘脱臼という大きなケガもして選抜大会に出られず、思うようなトレーニングも積めませんでした。 進路選択をする中で、「将来は自分も祖父のような体育教員になりたい」と思うようになり、祖父と同じく日本体育大学に進み体育教員になりました。教職に就いて最初の数年は選手として大会に出ていましたが、コロナ
禍の社会人大会中止、生徒の大会引率と社会人の大会が重なることもあり、しばらくは大会から遠ざかっていました。しかし2023年、自校のレスリング部員が当時3年生の美齊津楓雅さん(現・日体大1年)ひとりだけになり、部活動はマンツーマン指導となったため、試合形式での練習をする中で「そろそろ自分自身もチャレンジしても良いのでは」という気持ちが沸き上がり、大会出場を意識してトレーニングを重ねるようになりました。
17年ぶりの全国大会表彰台
表彰式後の一コマ。「表彰台から見える景色は格別でした」
「美齊津とふたりで賞状をもらえれば話題になる」と思い、2023年9月にかごしま国体に成年選手として出場。美齊津さんは3位でしたが、自分は思うようにはいきませんでした。10月の社会人オープン選手権では2位入賞、天皇杯(全日本選手権)にも出場しました。天皇杯は高校生の頃から憧れてきた舞台。フリーは1回戦負けでしたが、グレコローマンで3位入賞。A級審判資格を持っているため普段生徒の試合でしている審判の経験も生かすことができました。落ち着いて試合の展開を考えられたため、点数も取れ、満足のいく結果を残すことができました。表彰台は中学生以来17年ぶり。コツコツと続けていると良いことがあるものだなと実感しました。 教員をしながら選手を続けているため、生徒や保護者、恩師、キッズクラブの教え子、職場の先生方などたくさんの方に後押ししていただきました。選手として成績を残せたことは嬉しいですが、自分にとっての一番はやはり教員の仕事です。仕事との両立は大変ですが、やりたいことを部活動でもさせていただいている恵まれた環境に感謝し、これからも手を抜かず地道に取り組んでいきたいと思っています。
指導者として、選手として
2024年4月にはキルギスで行われた国際大会「アジア選手権」にも出場しました
自分が子どものころに通っていた「小諸キッズレスリングクラブ」に今は指導者として関わっています。幼児や小学生にはレスリングの魅力を伝え好きになってもらい、中学・高校の成長段階で実力を伸ばせるよう「好き」と「勝てる」ことのバランスが取れた選手を育成してい
きたいです。選手としては、もう一度表彰台に登れるよう、体が続く限り、ケガをしない程度に、楽しく続けていきたいです。