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日本画家・創画会会員 牧野 一泉さん

まきの かずみ 1951年佐久市大沢生まれ 1976年東京藝術大学大学院修了 2003〜04文化庁芸術家在外研修員 イタリア・アレッツォ滞在 創画会会員

祖父は南画家

幼い頃は恥ずかしがり屋で人前に出るのが苦手な子どもでした。絵を描くことが大好きで、何時間も絵を描いていても苦にならず、楽しく描いていました。「浅間山に雪が降ったから描こう」「佐久鯉を描こう」「紅葉を描こう」と自分の身近にあったものを題材にして描きました。周りの人に自分が描いた絵を褒められるととても嬉しく、さらに描くことが好きになりました。特に画家である祖父には小さい頃から褒められてばかりいたため、幼稚園の頃から「自分は将来絵描きになる」と公言していたようです。

祖父の画室には「芥子園画伝」、中国明代の文人画家・董其昌の「気韻生動」、富岡鉄斎、文展、日展、ルノワール、ルオー、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの画集がありましたが、その中でもゴッホの画集にあった「麦畑」と「空」の絵は暗記するほど見ていました。毎晩祖父と「天井板の節が何に見える」などと話しながら床に就くのも楽しかったです。そして幼稚園に上がる前からたびたび祖父と共に上野の東京都美術館に日展を見に行き、絵の具屋に行ったり、アメ横に寄って買い物をして帰るのが嬉しかったです。

 

《Wattという》2019年制作
(162×162cm)

動乱の70年代に学生時代を送る

中学時代の掃除当番で音楽教師の机上に中央公論社世界の名著「ニーチェ」を見つけました。「ツァラトゥストラ」などについても、わからないなりに一生懸命に辞書を引き、端から順に読んでいたらだんだん楽しくなりました。

高校に入学した後、東京で行われていた芸術系大学進学者向けの夏期講習に参加しましたが、成績は一番ビリ。それでも特に気にすることはありませんでした。石膏デッサンにしか興味が湧かず、他の受験科目に取り組んでいなかったため、一定のレベルに持ち込むまで何度も繰り返し練習を重ねました。

大学入学後は乱読・乱聞・乱見などを繰り返しました。その当時は自分と同じようなことをしない人間は信用がおけないとさえ思っていました。

人型の向こう側

《盗賊の恋人》
2002年制作 第29回創画展
(181.8×227.3cm)

創作のテーマを決めるのは簡単です。人それぞれ自分で作ればいい、一つのことをやれば芋づる式に湧いてきます。絵を通して他人に何かを伝えたいなどとおこがましいことは言えません。自分のことで精一杯、自分の感覚で観念します。制作過程は自分の思い通りになることのほうが少ないですが、楽しくて苦しくてそして最高な時間です。

9月14日から11月4日まで佐久市立近代美術館にて「牧野一泉 日本画展 —人型の向こう側」と題した企画展が開催されます。作品制作は行為であり作っている最中は「ing」でしかなく、良いか悪いかでもない。甚だ恥ずかしく、常にもうちょっといいものを作りたいと思っています。好き勝手に、全知全能かけて、体を張って作ればいい。描きたいことは次々と湧き上がり、課題は山のようにいくらでもあるので、作品を通して表現していくしかなく、見る人に少しでも共感してもらえるものがあったらいいと思っています。