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(2022年10月2日)
ふるこし みちお 1956年軽井沢町生まれ 高校卒業後、東京都内の高級スーパー「紀ノ国屋」に就職 1980年「沢屋ストア」の法人化に伴い軽井沢へ 1996年「株式会社沢屋」代表取締役社長に就任 2022年創業70周年を迎える
1952年に両親が青果店「沢屋ストア」を興した4年後に生まれ、テニスコート通りのお店の2階で育ちました。裏山歩きが好きな子どもでしたが、裏山とは避暑地軽井沢発祥の地、旧軽井沢高級別荘地のこと。軽井沢らしい趣や建物に対する興味は、裏山を駆け回っていたこの頃に自然と培われたように感じます。
普段から子どもが家業を手伝うのが当たり前の時代で、小学校低学年の頃から夏休みになると配達の手伝いもしました。新鮮な野菜や果物を届けるのですが、配達先が実は著名な文人や政財界人の別荘、なんてこともしばしば。挨拶の仕方や訪問の際のマナーやルールなど、別荘の大人たちが色々なことを優しく教えてくれました。
この頃に別荘のお得意様のリクエストで作り始めたジャムこそが「沢屋ジャム」の始まり。浅間ぶどうやルバーブ、すぐりなど地元で採れる自然の恵みを活かした「生鮮食品を扱う青果店が作るジャム」で、先代がこだわった「旬の原料」「国産・無添加」「手作り」の思いは今も大切に受け継がれています。
戦後軽井沢在住の亡命ロシア人により作られた思い出の味を復刻させた「ピロシキ」
都内の高級スーパーに就職してからは、青果を扱う過程で品質を重視する目利きの経験を重ね、逃げ道を作らずに誠意を持って良いものを売る大切さやブランドへのこだわりを学びました。そして1980年、「沢屋ストア」の法人化をきっかけに軽井沢へ戻り、本社となる「沢屋バイパス店・ファクトリー」をオープンさせました。このときに背中を押してくださった銀行の方への御恩は忘れられません。
1996年、40歳のときに代表取締役社長に就任。「国産の新鮮な果実と国産砂糖以外使わない」という昔からの製法にこだわり続けた結果、その姿勢に共感した農家の方から旬の果実が持ち込まれ、次々と商品化。今では、日本の豊かな四季を味わえる充実のラインナップが揃うまでになりました。2004年には直営レストラン「こどう」をオープン。バイパス店の隣接地の景観を守りたいという思いから生まれた空間で、自然豊かな軽井沢の原風景を楽しめます。子どもの頃に旧軽井沢で売られていた味を思い出しながら「ピロシキ」も復刻。当時の味を知る別荘の方も加わり妻が何度もアドバイスをいただきながら目指す味を追求しました。本物を追求した「国産ブルーベリー100%ストレートジュース」も自慢の逸品。2011年に新設した「沢屋ジャムファクトリー」は工場見学が可能です。
冬の楽しみの一つ、スキーを楽しむ古越さん
工場建設もジャムのラインナップも飲食店オープンも新商品開発も、すべてはタイミングと出会い、「人の縁」から生まれたもの。「良いもので作れば美味しいものができる」という発想を、あらゆる面で愚直に守り続けてきた結果だと思います。最近は上野村産の木質ペレットも扱い始めました。これも人の縁によるものですが、「やれることをやろう」という沢屋なりのSDGsです。「物語がなければつじつまが合わない。必然性が大切」というこだわりを胸に、これからも沢屋らしい良いものをお届けしていきます。
月刊ぷらざ編集部(株式会社信州広告社)
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ふるこし みちお 1956年軽井沢町生まれ 高校卒業後、東京都内の高級スーパー「紀ノ国屋」に就職 1980年「沢屋ストア」の法人化に伴い軽井沢へ 1996年「株式会社沢屋」代表取締役社長に就任 2022年創業70周年を迎える
配達先のおじいさん、実は…
1952年に両親が青果店「沢屋ストア」を興した4年後に生まれ、テニスコート通りのお店の2階で育ちました。裏山歩きが好きな子どもでしたが、裏山とは避暑地軽井沢発祥の地、旧軽井沢高級別荘地のこと。軽井沢らしい趣や建物に対する興味は、裏山を駆け回っていたこの頃に自然と培われたように感じます。
普段から子どもが家業を手伝うのが当たり前の時代で、小学校低学年の頃から夏休みになると配達の手伝いもしました。新鮮な野菜や果物を届けるのですが、配達先が実は著名な文人や政財界人の別荘、なんてこともしばしば。挨拶の仕方や訪問の際のマナーやルールなど、別荘の大人たちが色々なことを優しく教えてくれました。
この頃に別荘のお得意様のリクエストで作り始めたジャムこそが「沢屋ジャム」の始まり。浅間ぶどうやルバーブ、すぐりなど地元で採れる自然の恵みを活かした「生鮮食品を扱う青果店が作るジャム」で、先代がこだわった「旬の原料」「国産・無添加」「手作り」の思いは今も大切に受け継がれています。
品質重視に対するこだわり
戦後軽井沢在住の亡命ロシア人により作られた思い出の味を復刻させた「ピロシキ」
都内の高級スーパーに就職してからは、青果を扱う過程で品質を重視する目利きの経験を重ね、逃げ道を作らずに誠意を持って良いものを売る大切さやブランドへのこだわりを学びました。そして1980年、「沢屋ストア」の法人化をきっかけに軽井沢へ戻り、本社となる「沢屋バイパス店・ファクトリー」をオープンさせました。このときに背中を押してくださった銀行の方への御恩は忘れられません。
1996年、40歳のときに代表取締役社長に就任。「国産の新鮮な果実と国産砂糖以外使わない」という昔からの製法にこだわり続けた結果、その姿勢に共感した農家の方から旬の果実が持ち込まれ、次々と商品化。今では、日本の豊かな四季を味わえる充実のラインナップが揃うまでになりました。2004年には直営レストラン「こどう」をオープン。バイパス店の隣接地の景観を守りたいという思いから生まれた空間で、自然豊かな軽井沢の原風景を楽しめます。子どもの頃に旧軽井沢で売られていた味を思い出しながら「ピロシキ」も復刻。当時の味を知る別荘の方も加わり妻が何度もアドバイスをいただきながら目指す味を追求しました。本物を追求した「国産ブルーベリー100%ストレートジュース」も自慢の逸品。2011年に新設した「沢屋ジャムファクトリー」は工場見学が可能です。
冬の楽しみの一つ、スキーを楽しむ古越さん
創業70周年を迎えて
工場建設もジャムのラインナップも飲食店オープンも新商品開発も、すべてはタイミングと出会い、「人の縁」から生まれたもの。「良いもので作れば美味しいものができる」という発想を、あらゆる面で愚直に守り続けてきた結果だと思います。最近は上野村産の木質ペレットも扱い始めました。これも人の縁によるものですが、「やれることをやろう」という沢屋なりのSDGsです。「物語がなければつじつまが合わない。必然性が大切」というこだわりを胸に、これからも沢屋らしい良いものをお届けしていきます。