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(2020年11月26日)
かなざわ あけみ 1954年佐久市生まれ 高校卒業後高等看護学校へ進むも23歳のときに花屋を営む現在のS.K花企画会長と結婚 1987年長野県生花商業協同組合主催フラワーコンテスト農林水産大臣賞受賞 他数々の受賞歴有 フラワー装飾師として2020年度信州の名工卓越技能者知事表彰 全技連マイスター認定
小さい頃は販売の仕事に興味があり、「お店をやりたい」とよく家族に話していたようです。「人と接する仕事ができたらなあ」と考えていたように思います。
高校卒業後は何か手に職をつけなければいけないと思い看護の学校へ進み、働きながら勉強をしていました。そんな頃、たまたま帰宅途中にある花屋で、花が好きな母のために花を購入。家に帰るとその包装紙を見た、車の販売をしている兄が「この前そのお店で車を買ってもらったよ」とのこと。それをきっかけに花屋の従業員だった現在の夫と話をするようになり、1年くらい通った頃、「軽井沢に新規出店するので店番をしてほしい」といわれ、結婚。看護の仕事は辞め、夫と2人、「全国に通用するような花屋にしよう」と現在の店舗にまで成長させました。支えてくださった方々に感謝しています。
「信州の名工」表彰式にて。多い時には1日60個のブーケを作ったことも
結婚してすぐに軽井沢に出店しましたが、この頃はまだ葬儀のほうの需要が多く、決まった花屋と提携しているホテルにはなかなか営業に行けませんでした。軽井沢に住居を構え、何とか軽井沢でやっていかなければいけない、そんな時に助けてくれたのは、長女が幼稚園の時の保護者の方々でした。軽井沢の青年会や商工会などを紹介してくれたり、お祭りや文化祭などの行事に誘ってくれたりと、ご縁を結んでくれました。その時に出会った、偶然にも夫と同じ生まれ年の仲間とは今でも旅行に行くなど、家族ぐるみの交流が続いています。
花を販売するだけでなく、技術を磨くことも店のコンセプト。フラワー装飾の技術は店番の傍ら、夫から学びました。1987年に長野県生花商業協同組合が主催するフラワーコンテストで夫が優勝、自身も農林水産大臣賞を受賞しました。2000年に神奈川県で開催された日本生花通信配達協会(JFTD)の全国大会では、JFTD大賞部門優勝、農林水産大臣賞も受賞することがきました。アシスタントとして支えてきた夫が大きな大会でトップになれたことは、自分も一緒に評価されたと感じられるとても大きな喜びでした。
国宝とのコラボレーション企画作品作りの様子
2005年、フラワー装飾技能士1級の資格を取得。店が日本フラワーデザイナー協会(NFD)公認校に認定され、店でのフラワー技術の試験や審査ができるようになりました。2013年からは全国から生徒が集まる東京と大阪へ年に2回ほどNFDウエディングコースの講師として出向いています。花も技術職、せっかく花屋に勤めているのならスタッフにも技術を磨いてほしい、そして様々な挑戦に対して小さなことでも評価してあげたいと思っています。
技術師の育成で日本各地に出ることが多くなった夫の分も、地元に貢献したいと軽井沢町商工会の会長職を引き受けました。
以前のような日常が戻ったら、全国のお祭りや花火大会、桜前線や紅葉を追いかけたりしたいです。あまり落ち込む性格ではなく、楽天的だとよくいわれます。くよくよしても仕方がない、できることを地道にコツコツと正しくやっていれば、必ず花は咲くと思います。
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かなざわ あけみ 1954年佐久市生まれ 高校卒業後高等看護学校へ進むも23歳のときに花屋を営む現在のS.K花企画会長と結婚 1987年長野県生花商業協同組合主催フラワーコンテスト農林水産大臣賞受賞 他数々の受賞歴有 フラワー装飾師として2020年度信州の名工卓越技能者知事表彰 全技連マイスター認定
夫と花との運命の出会い
小さい頃は販売の仕事に興味があり、「お店をやりたい」とよく家族に話していたようです。「人と接する仕事ができたらなあ」と考えていたように思います。
高校卒業後は何か手に職をつけなければいけないと思い看護の学校へ進み、働きながら勉強をしていました。そんな頃、たまたま帰宅途中にある花屋で、花が好きな母のために花を購入。家に帰るとその包装紙を見た、車の販売をしている兄が「この前そのお店で車を買ってもらったよ」とのこと。それをきっかけに花屋の従業員だった現在の夫と話をするようになり、1年くらい通った頃、「軽井沢に新規出店するので店番をしてほしい」といわれ、結婚。看護の仕事は辞め、夫と2人、「全国に通用するような花屋にしよう」と現在の店舗にまで成長させました。支えてくださった方々に感謝しています。
人とのつながりを大切に
「信州の名工」表彰式にて。多い時には1日60個のブーケを作ったことも
結婚してすぐに軽井沢に出店しましたが、この頃はまだ葬儀のほうの需要が多く、決まった花屋と提携しているホテルにはなかなか営業に行けませんでした。軽井沢に住居を構え、何とか軽井沢でやっていかなければいけない、そんな時に助けてくれたのは、長女が幼稚園の時の保護者の方々でした。軽井沢の青年会や商工会などを紹介してくれたり、お祭りや文化祭などの行事に誘ってくれたりと、ご縁を結んでくれました。その時に出会った、偶然にも夫と同じ生まれ年の仲間とは今でも旅行に行くなど、家族ぐるみの交流が続いています。
花を販売するだけでなく、技術を磨くことも店のコンセプト。フラワー装飾の技術は店番の傍ら、夫から学びました。1987年に長野県生花商業協同組合が主催するフラワーコンテストで夫が優勝、自身も農林水産大臣賞を受賞しました。2000年に神奈川県で開催された日本生花通信配達協会(JFTD)の全国大会では、JFTD大賞部門優勝、農林水産大臣賞も受賞することがきました。アシスタントとして支えてきた夫が大きな大会でトップになれたことは、自分も一緒に評価されたと感じられるとても大きな喜びでした。
軽井沢への恩返し
国宝とのコラボレーション企画作品作りの様子
2005年、フラワー装飾技能士1級の資格を取得。店が日本フラワーデザイナー協会(NFD)公認校に認定され、店でのフラワー技術の試験や審査ができるようになりました。2013年からは全国から生徒が集まる東京と大阪へ年に2回ほどNFDウエディングコースの講師として出向いています。花も技術職、せっかく花屋に勤めているのならスタッフにも技術を磨いてほしい、そして様々な挑戦に対して小さなことでも評価してあげたいと思っています。
技術師の育成で日本各地に出ることが多くなった夫の分も、地元に貢献したいと軽井沢町商工会の会長職を引き受けました。
以前のような日常が戻ったら、全国のお祭りや花火大会、桜前線や紅葉を追いかけたりしたいです。あまり落ち込む性格ではなく、楽天的だとよくいわれます。くよくよしても仕方がない、できることを地道にコツコツと正しくやっていれば、必ず花は咲くと思います。