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(2013年8月31日)
●ホテルブレストンコート総料理長 浜田 統之さん
1975年鳥取県生まれ 04年ボキューズ・ドール国際料理コンクール日本大会で史上最年少優勝、翌年同世界大会出場 07年ホテルブレストンコート総料理長就任 13年ボキューズ・ドール国際料理コンクール世界大会第3位
生まれ育ったのは鳥取県の惣菜屋。両親の仕事を間近に見ながら、小学生の頃から自分でも料理をしていました。素材の組み合わせで自分の想いをかたちにしていく面白さに気が付いたのは、この頃だったと思います。小学校の卒業文集には、将来の夢として既に「コックさん」と書いていたほどです。もちろん当時作っていたのは、味噌汁などの簡単なものでしたが。
高校を卒業して6年間イタリア料理店に勤め、フランス料理の道へ入ったのはその後から。当時はイタリア料理ひと筋で、興味もイタリアにしか向いていなかったのですが、何度か訪れたフランス料理店で、見た目の美しさや技法に惹き込まれました。イタリアンとフレンチでは火の入れ方もソースも、料理に対する考え方もすべて違い、転向した当初は苦労しました。料理を作るたびに捨てられたことも何度もあります。
今年1月にフランスで開かれた「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」は、世界各国を代表するシェフが技を競う、フランス料理のオリンピックとも言われる大会です。8年前に初めて出場した時は、すべてが未経験で、何の戦略もない状態から出場し満足する結果を得る事ができませんでした。今回はその経験を生かし、様々なジャンルの方々にご意見・アドバイスを頂いたことで、世界第3位という好成績につながったと思います。
大会では肉、魚料理でそれぞれテーマとなる食材が示され、5時間35分をかけて各14人前を作ります。審査では味、プレゼンテーションと共に、自国の特徴や独自性を評価されるため、プラッターや器、カトラリーまで、すべて日本の職人が手掛けた「オール・ジャパン構想」で臨みました。食材にも海苔や紫蘇、レンコンなど、日本独自のものを使用しました。ヒラメとオマールをメインとした魚課題では、「BENTO」と呼ばれた木箱を使った演出で、世界第1位の最高得点を獲得しました。順位はもちろん、フランスの物まねではない、日本人ならではのフランス料理が世界に認められたことが嬉しかったですし、今後、日本のフランス料理を世界に広めるきっかけを貰えたと思っています。
ホテルブレストンコートのメインダイニング「ユカワタン」の料理は、信州の素材に限った「ニッポンフレンチ」を提唱しています。すべての場面で情報が溢れている現在、あえて条件を限定することで、より深く、本質に近づいた料理が出来るのではないか、ここにしかない料理、味があれば、それを求めて県外、海外からも、多くの人が訪れてくれるはず。新鮮な野菜や川魚など恵まれた素材を生かし、地元の可能性を引き出していくのが料理人の役目。佐久鯉はテリーヌやブータン・ノワール風に仕立て、メインの一品として提供することもあります。
趣味については、よく聞かれるのですが、答えは「料理」です。趣味だから、いくらのめり込んでも疲れないし、楽しくて仕方がない。休日には生産者の話を聞きに行ったり、新しい料理を試したりしています。信州には志が高い生産者の方が多く、いつもいい影響を受けています。
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浜田 統之さん
1975年鳥取県生まれ 04年ボキューズ・ドール国際料理コンクール日本大会で史上最年少優勝、翌年同世界大会出場 07年ホテルブレストンコート総料理長就任 13年ボキューズ・ドール国際料理コンクール世界大会第3位
将来の夢は「コックさん」
生まれ育ったのは鳥取県の惣菜屋。両親の仕事を間近に見ながら、小学生の頃から自分でも料理をしていました。素材の組み合わせで自分の想いをかたちにしていく面白さに気が付いたのは、この頃だったと思います。小学校の卒業文集には、将来の夢として既に「コックさん」と書いていたほどです。もちろん当時作っていたのは、味噌汁などの簡単なものでしたが。
高校を卒業して6年間イタリア料理店に勤め、フランス料理の道へ入ったのはその後から。当時はイタリア料理ひと筋で、興味もイタリアにしか向いていなかったのですが、何度か訪れたフランス料理店で、見た目の美しさや技法に惹き込まれました。イタリアンとフレンチでは火の入れ方もソースも、料理に対する考え方もすべて違い、転向した当初は苦労しました。料理を作るたびに捨てられたことも何度もあります。
日本人初、世界3位の栄冠を獲得
今年1月にフランスで開かれた「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」は、世界各国を代表するシェフが技を競う、フランス料理のオリンピックとも言われる大会です。8年前に初めて出場した時は、すべてが未経験で、何の戦略もない状態から出場し満足する結果を得る事ができませんでした。今回はその経験を生かし、様々なジャンルの方々にご意見・アドバイスを頂いたことで、世界第3位という好成績につながったと思います。
大会では肉、魚料理でそれぞれテーマとなる食材が示され、5時間35分をかけて各14人前を作ります。審査では味、プレゼンテーションと共に、自国の特徴や独自性を評価されるため、プラッターや器、カトラリーまで、すべて日本の職人が手掛けた「オール・ジャパン構想」で臨みました。食材にも海苔や紫蘇、レンコンなど、日本独自のものを使用しました。ヒラメとオマールをメインとした魚課題では、「BENTO」と呼ばれた木箱を使った演出で、世界第1位の最高得点を獲得しました。順位はもちろん、フランスの物まねではない、日本人ならではのフランス料理が世界に認められたことが嬉しかったですし、今後、日本のフランス料理を世界に広めるきっかけを貰えたと思っています。
限定することで本質を極める
趣味については、よく聞かれるのですが、答えは「料理」です。趣味だから、いくらのめり込んでも疲れないし、楽しくて仕方がない。休日には生産者の話を聞きに行ったり、新しい料理を試したりしています。信州には志が高い生産者の方が多く、いつもいい影響を受けています。