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農業経営者 依田 バシリカさん

依田 バシリカさん農業経営者
依田 バシリカさん

1977年ルーマニア生まれ 子どもの頃よりアジア文化に興味があり、1989年ルーマニア民主化の後にアジア各地を旅行 日本に立ち寄った時に出会った日本人男性と2004年結婚以来、佐久市在住 来日してから農業を学び、お米、野菜、果樹、花など4町歩の田畑を耕作 一男一女の母

 

アジアへの興味

生まれはルーマニアのオルテニツァ。首都ブカレストから60㎞ほど離れた、ブルガリアとの国境に近い街です。
幼い頃からアジア圏の文化に興味があり、お寺やエンペラー、サムライなど、ヨーロッパとは違う日本の文化をもっと知りたいと願っていました。ルーマニアの民主化後、その願いを叶えるためにアジア各地を旅行。日本を訪れた際に知り合った日本人男性と結婚することを決め、ルーマニアの家族に紹介した後、日本に嫁いできたのが2004年12月1日のことでした。

花畑で、アスターとカーネーションを栽培日本の農業を学ぶ

夫以外に頼る人のいない日本。言葉も習慣もわからない環境は不安でしたが、会社員の夫を収入の面でも支えたくて、まずは働くことを考えました。
来日してすぐの2月・3月は、ちょうど春に向けてビニールハウスで野菜や花の苗作りが始まる時期。小さな種から芽が出て、それが立派なキュウリやトマトになることに感動し、この仕事に携わりたいと思いました。近隣で野菜を育てているのは年配の方が多かったので、「私にもできるかもしれない」という気持ちがありました。嫁ぎ先の近くには農家が多く、農作業を見ているのはとても楽しかったのを覚えています。
2005年にトマトとアスターの苗を200本ずつ分けてもらったのが、農業を始める最初の一歩でした。当初はどうやって植えたらいいのか、どうやって育てたらいいのか全く分からず、近所の畑で実際の作業を見せてもらったりもしました。見て、頭にインプットして、帰ってから実際にやってみる。小さな苗を植え、毎日水をやるうちに、きれいな花が咲いて立派なトマトがなった時は、とても嬉しかったです。そのトマトを売ったことで、日本に来て初めて自分でお金を稼ぐことができたと実感しました。自分で汗をかいて得たお金は、何倍にも価値があるように感じたものです。
収穫した農作物は、軽井沢や佐久の直売所にも出しています。お客さんから「美味しかったよ。また持ってきて。」と声を掛けられるのが励みです。

佐久の特産品 プルーンの収穫もっと広げる、もっと作る

農業も私生活も、結婚後8年間は言い尽くせないほどの苦労がありました。けれども農業は、自分の心が「やりたい!」と感じた大好きなことだったのでやり続けることができました。06年3月に長男、11年7月に長女が生まれました。それからは、おんぶしたり、ベビーカーに乗せたりしながら、子どもと一緒に畑に出る毎日でした。07年にプルーンの畑を借りて作り始め、今では桃も作っています。米は種もみから育てています。昨年秋に初めてコンバインに乗った時は、近くの田んぼにいた人たちが見物に来たので、私の方が驚きました。
農業をする上で目指すのは、安全・安心、そして美味しい作物を育てること。もっと上手に、果物や野菜、お米を作っていきたいですし、もっと規模も広げたいと思っています。今後は新しいスタイルの農業、新しい種類の作物にも挑戦したいと考えています。
3月から11月まで、畑や田んぼは目の回る忙しさです。そんな中での息抜きは、子どもたちとドライブしたり、一緒に遊んだりすること。家族4人が一緒に笑って過ごす時間に、一番の幸せを感じています。