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(2012年6月30日)
ステンドグラス作家、ティファニー公認鑑定・修復士菅原 任(わたる)さん
1948年京都生 スタンフォード大卒業後、71年ディール・ティファニー工房に入る 77年フランスステンドグラス協会賞プルミエ・ブレ等、数々の国際タイトルを受賞 83年帰国、91年より立科町に移住 アメリカステンドグラス協会正会員、ドイツ国立公認鑑定人
今でこそステンドグラス作家として世界中から注文を頂いていますが、20代のはじめまで、自分がガラスの世界で生きていくとは思ってもいませんでした。きっかけは学生時代、スタンフォード大学に留学する時にアメリカ・デュポン社から奨学金を受けたこと。卒業後、お礼奉公の勤め先として紹介されたのが、フランスオートクチュールの工房、そしてディール・ティファニー工房だったのです。もともと東京大学で法学を学び、留学先では経営学を専攻していたため、手仕事の世界に携わるのは初めて。その最初の時に「見るものすべてが本物」という恵まれた環境で、アシスタントとして仕事をできたことが進路を大きく変えたのだと思います。始めはティファニーと聞いても映画のタイトルしか連想できなかったのですが(笑)。工房で働く間には、イタリアやドイツを回り、建築学や美術史、ガラス理論など、様々な角度からガラスについて学ぶ機会も得ました。ヨーロッパのインテリアにはそれぞれ形式があり、建築から学ばないと制作するにも理解が及ばず、歴史的作品を修復するには過去のガラスについて熟知する必要もありましたから。
ティファニーのガラス工芸は、宝飾品で知られるティファニーの息子、ルイス・コンフォート・ティファニーが創始したもの。アメリカを代表するデザイナーで、その作品はエミール・ガレやアントン・ドームに匹敵すると言われています。日本ではステンドグラスがまだあまり認知されていない時代、専業とするには迷いもありましたが、技術を突き詰めるのが面白かったのです。ガラスには染色などと同じく7000近い色の種類があり、しかもそれが劣化せず永遠に残るというのも魅力でした。正直にいってしまえば、学生時代の同級生が皆、官僚や企業人として出世する傍らで、後には引けないという想いもあった気がします。今はもちろん、この奥深いガラスの世界で仕事ができることに感謝しています。フランス・シラク元大統領の引退式典にユリをあしらったランプを贈るなど、得難い経験もしました。「シラクの百合」と呼ばれたこのランプは、今も元大統領のご自宅に置かれているはずです。
帰国後は東京に「我楽須工房」を開設。その後、女神湖畔にガラスの野外モニュメントを作ったのが縁で、蓼科山麓の別荘地に工房と住居を移すことにしました。意識はしていないのですが、こちらに移ってから作品に緑が増えたと言われます。新緑の柔らかな緑、森の奥の深い緑、自然の中にはいろいろな緑があるので、その影響かもしれません。工房を兼ねた自宅は、基礎だけ工務店にお願いし、後は自分でコツコツ手作りしています。工房に入るのは午後から夜中にかけて。途中で昼寝もするし、テレビをつけることもあります。根を詰めて生産性を上げることに必死になると、結局いいものはできませんから。儲けることより、常に楽しみながら、お客様の想像以上の作品を仕上げて喜んでもらうことを目指しています。日の高いうちは庭を回ったり、テラスで本を読んだり…。地元を会場にしたステンドグラス教室も、おかげさまでご好評いただいています。移住してからは、ここで暮らすこと自体が趣味のようなものです。
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菅原 任(わたる)さん
1948年京都生 スタンフォード大卒業後、71年ディール・ティファニー工房に入る 77年フランスステンドグラス協会賞プルミエ・ブレ等、数々の国際タイトルを受賞 83年帰国、91年より立科町に移住 アメリカステンドグラス協会正会員、ドイツ国立公認鑑定人
本物のガラス工芸を究めるため
今でこそステンドグラス作家として世界中から注文を頂いていますが、20代のはじめまで、自分がガラスの世界で生きていくとは思ってもいませんでした。きっかけは学生時代、スタンフォード大学に留学する時にアメリカ・デュポン社から奨学金を受けたこと。卒業後、お礼奉公の勤め先として紹介されたのが、フランスオートクチュールの工房、そしてディール・ティファニー工房だったのです。
もともと東京大学で法学を学び、留学先では経営学を専攻していたため、手仕事の世界に携わるのは初めて。その最初の時に「見るものすべてが本物」という恵まれた環境で、アシスタントとして仕事をできたことが進路を大きく変えたのだと思います。始めはティファニーと聞いても映画のタイトルしか連想できなかったのですが(笑)。工房で働く間には、イタリアやドイツを回り、建築学や美術史、ガラス理論など、様々な角度からガラスについて学ぶ機会も得ました。ヨーロッパのインテリアにはそれぞれ形式があり、建築から学ばないと制作するにも理解が及ばず、歴史的作品を修復するには過去のガラスについて熟知する必要もありましたから。
ティファニーのガラス工芸は、宝飾品で知られるティファニーの息子、ルイス・コンフォート・ティファニーが創始したもの。アメリカを代表するデザイナーで、その作品はエミール・ガレやアントン・ドームに匹敵すると言われています。
日本ではステンドグラスがまだあまり認知されていない時代、専業とするには迷いもありましたが、技術を突き詰めるのが面白かったのです。ガラスには染色などと同じく7000近い色の種類があり、しかもそれが劣化せず永遠に残るというのも魅力でした。正直にいってしまえば、学生時代の同級生が皆、官僚や企業人として出世する傍らで、後には引けないという想いもあった気がします。
今はもちろん、この奥深いガラスの世界で仕事ができることに感謝しています。フランス・シラク元大統領の引退式典にユリをあしらったランプを贈るなど、得難い経験もしました。「シラクの百合」と呼ばれたこのランプは、今も元大統領のご自宅に置かれているはずです。
帰国後は東京に「我楽須工房」を開設。その後、女神湖畔にガラスの野外モニュメントを作ったのが縁で、蓼科山麓の別荘地に工房と住居を移すことにしました。意識はしていないのですが、こちらに移ってから作品に緑が増えたと言われます。新緑の柔らかな緑、森の奥の深い緑、自然の中にはいろいろな緑があるので、その影響かもしれません。
工房を兼ねた自宅は、基礎だけ工務店にお願いし、後は自分でコツコツ手作りしています。工房に入るのは午後から夜中にかけて。途中で昼寝もするし、テレビをつけることもあります。根を詰めて生産性を上げることに必死になると、結局いいものはできませんから。儲けることより、常に楽しみながら、お客様の想像以上の作品を仕上げて喜んでもらうことを目指しています。日の高いうちは庭を回ったり、テラスで本を読んだり…。地元を会場にしたステンドグラス教室も、おかげさまでご好評いただいています。移住してからは、ここで暮らすこと自体が趣味のようなものです。