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(2012年3月31日)
左官の部で技能五輪金賞中澤 大貴さん
1991年佐久市上平尾生まれ 東中学校、岩村田高校を卒業後、家業の中澤左官店に就職 同時に佐久高等技術訓練校で技術の研鑽を積む 11年技能五輪全国大会左官の部で金賞受賞 現場で働く一方WAZACAN出前講座の講師として市内中学を訪れるなど活躍中
実家は上平尾にある左官店。小さい頃から、日曜日は父親について現場へ出かけ、職人さんたちの仕事を見て育ちました。小学生の頃には練った石膏を運んだり、掃除をしたり。「家業を継がなければ…」という気負った気持ちはなく、自然とこの道を選んだような気がします。中学時代に同じ建築業界の職種である建築士になろうかと考えたこともありましたが、もともと机に向かって図面を引くより、体と手を動かしている方が好きな性分。高校を卒業する頃には、迷いなく左官業を選んでいました。収入などを考えれば建築士の方が良いのかもしれませんが、本能的にこの道に入ったという感じです。左官という仕事は、建築業の中でも、手の感覚にしか頼れない究極の手仕事です。コテひとつを使いこなし、究めれば右手1本で生きていくことができる、とても恰好いい仕事だと感じていますし、いずれは父親を超えるレベルにいきたいと思っています。
昨年、初めて技能五輪にエントリーしました。本番の3ヶ月前に課題が発表されるので、その日から大会までは毎日練習。朝8時から夕方5時まで、通っていた佐久高等技術訓練校の実習室を借りて、課題の作品を繰り返し仕上げました。前年までは主に寸法の正確さを見られていましたが、昨年からは精度の高さ、つまり寸法だけでなく全体の美的感覚も審査対象となったので、仕上がりにも細かく気を使う必要があり、精神的にはずいぶんと疲れました。本番では、最初の30分はさすがに緊張して図面を描く手が震え、若干のミスも。その後はまわりの音が気にならなくなり、これまでで一番いい仕事をすることができた気がします。前の晩興奮していたせいか、朝3時頃に目が覚めてしまい、少々寝不足でしたが、かえっていい緊張が保てたのかもしれません。金賞を受賞したことで、以前より技術に自信を持つことができました。ゆくゆくは石膏デザインの本場・ドイツで開かれる国際大会にも出たいと考えています。そのために今年開かれる技能五輪長野大会で連覇を果たしたいと思っています。
高校を卒業後は、職人として毎日現場に通っています。体をめいっぱい使うので、基礎体力は中学・高校時代より上がっているかも。小学生の時に少年野球を始めて、中学・高校もずっと野球部だったのですが、今の方が体に厚みが出てきました。疲れのせいか、休みの日は、家で寝転がり、動けないまま1日が終わることもしょっちゅうです。それでも何より仕事が好き。趣味を聞かれることも多いですが、趣味を探すより、仕事をしていた方が楽しいです。もちろん友達とゴルフに行ったり、アウトドアで遊んだりするのも好きですよ。塗り壁の美しさ、快適さは住まいを演出するのに欠かせないもの。外材ですべて組んでしまう家が多くなった一方で、左官の仕事がなくなることはないと思っています。将来的にはどんな仕事でもこなせる職人になって、お客様の要望に応えつつ、「こうするといいですよ」「こういうこともできますよ」と提案できるのが理想です。仕事で使うコテは、用途に合わせて少しずつ買い揃えてきました。同じように見えてもモルタルを扱うもの、漆喰を扱うもの、それぞれ違うんですよ。場所によって使う大きさもそれぞれ。一番大切にしている仕事の相棒たちです。
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中澤 大貴さん
1991年佐久市上平尾生まれ 東中学校、岩村田高校を卒業後、家業の中澤左官店に就職 同時に佐久高等技術訓練校で技術の研鑽を積む 11年技能五輪全国大会左官の部で金賞受賞 現場で働く一方WAZACAN出前講座の講師として市内中学を訪れるなど活躍中
父親から自然と学んだプロ意識
実家は上平尾にある左官店。小さい頃から、日曜日は父親について現場へ出かけ、職人さんたちの仕事を見て育ちました。小学生の頃には練った石膏を運んだり、掃除をしたり。「家業を継がなければ…」という気負った気持ちはなく、自然とこの道を選んだような気がします。中学時代に同じ建築業界の職種である建築士になろうかと考えたこともありましたが、もともと机に向かって図面を引くより、体と手を動かしている方が好きな性分。高校を卒業する頃には、迷いなく左官業を選んでいました。収入などを考えれば建築士の方が良いのかもしれませんが、本能的にこの道に入ったという感じです。
左官という仕事は、建築業の中でも、手の感覚にしか頼れない究極の手仕事です。コテひとつを使いこなし、究めれば右手1本で生きていくことができる、とても恰好いい仕事だと感じていますし、いずれは父親を超えるレベルにいきたいと思っています。
技能五輪で若手技術者の頂点へ
昨年、初めて技能五輪にエントリーしました。本番の3ヶ月前に課題が発表されるので、その日から大会までは毎日練習。朝8時から夕方5時まで、通っていた佐久高等技術訓練校の実習室を借りて、課題の作品を繰り返し仕上げました。前年までは主に寸法の正確さを見られていましたが、昨年からは精度の高さ、つまり寸法だけでなく全体の美的感覚も審査対象となったので、仕上がりにも細かく気を使う必要があり、精神的にはずいぶんと疲れました。
本番では、最初の30分はさすがに緊張して図面を描く手が震え、若干のミスも。その後はまわりの音が気にならなくなり、これまでで一番いい仕事をすることができた気がします。前の晩興奮していたせいか、朝3時頃に目が覚めてしまい、少々寝不足でしたが、かえっていい緊張が保てたのかもしれません。
金賞を受賞したことで、以前より技術に自信を持つことができました。ゆくゆくは石膏デザインの本場・ドイツで開かれる国際大会にも出たいと考えています。そのために今年開かれる技能五輪長野大会で連覇を果たしたいと思っています。
高校を卒業後は、職人として毎日現場に通っています。体をめいっぱい使うので、基礎体力は中学・高校時代より上がっているかも。小学生の時に少年野球を始めて、中学・高校もずっと野球部だったのですが、今の方が体に厚みが出てきました。疲れのせいか、休みの日は、家で寝転がり、動けないまま1日が終わることもしょっちゅうです。
それでも何より仕事が好き。趣味を聞かれることも多いですが、趣味を探すより、仕事をしていた方が楽しいです。もちろん友達とゴルフに行ったり、アウトドアで遊んだりするのも好きですよ。
塗り壁の美しさ、快適さは住まいを演出するのに欠かせないもの。外材ですべて組んでしまう家が多くなった一方で、左官の仕事がなくなることはないと思っています。将来的にはどんな仕事でもこなせる職人になって、お客様の要望に応えつつ、「こうするといいですよ」「こういうこともできますよ」と提案できるのが理想です。
仕事で使うコテは、用途に合わせて少しずつ買い揃えてきました。同じように見えてもモルタルを扱うもの、漆喰を扱うもの、それぞれ違うんですよ。場所によって使う大きさもそれぞれ。一番大切にしている仕事の相棒たちです。