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日本画家、佐久市立近代美術館館長 並木 功さん

並木功さん

日本画家、佐久市立近代美術館館長

並木 功さん

1956年佐久市下平尾生まれ 愛知県立芸術大学日本画科卒 85年第41回春の院展「宵」入選、92年北野美術館大賞展「焼岳」大賞、ほか多数美術展入賞 2010年4月公募により佐久市立近代美術館館長に就任 現在日本美術院院友

 

美術館を人生の宝物に

学生時代を過ごした名古屋から、実家のある佐久に戻って20年近く。今まで画家としてやってきたことで何か地元の力になれないかと考えていた時、ちょうど市の広報で公募の記事を見たのが、佐久市立近代美術館館長に応募したきっかけでした。
今、全国の美術館は転機を迎えています。企画力だけでは誰も見に来てくれないので、自分たちが率先して動き、「こういうことをしていますよ」と発信して、存在感を出す必要があるのです。
昨年4月に就任してからは、子ども未来館や市立図書館と連携して子ども向けのワークショップを開いたり、「館長と話そう!」という意見交換会を開いたりもしました。ワークショップは子どもたちが楽しめる場所であるとともに、家族で美術館に足を運ぶきっかけにもなります。
地方にもこれだけ素晴らしいものがあるのだから、特に子どもたちが美術館を一度見ておくことは良い体験になると思います。作品の意味がわからなくてもいいし、見て、心にしまっておくだけでいいのです。小さい頃に美術館に来たという記憶は、人生の大切な宝物になるはずです。

絵を描いて生きること

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もともと、小学校に入る前から、絵さえ描いていれば幸せという子どもでした。親も放任主義だったので、勉強はさぼってばかり(笑)。「面白い絵を描くね」と友だちに言われるのが何よりうれしくて、将来は何か絵を描く職につけたらいいなと漠然と考えていました。幸運だったのが、中学生時代、2・3年時の担任として鈴木公人先生に出会えたこと。教師をしながら日展画家としても活躍されていた先生の後押しがあり、本格的に絵の道に進むことができたのです。天然画材を塗り重ねていく不思議な魅力に惹かれ、日本画を専門に選んだのもこの頃でした。
29歳で初めて院展に入選した「宵」という作品は、アイヌの民族文化をテーマにしたものです。独特の文化、文様に興味を持ち、20代の頃は北海道に足を運んで描き続けました。今もモチーフとしているインディオの親子や子どもたちの絵は、この延長にあります。絵に描いたような生活を実際にされているアイヌの方が現在はいないことから、よりリアルな存在感を求めて、30代になると視線が自然と南米に向かっていきました。91年には、妻と2歳になったばかりの長男を連れて最初の取材旅行へ。45日間かけてペルー各地を巡り、あちこちで生き生きとした表情のインディオの子どもたちに出会いました。小学校の頃からナスカの地上絵やマチュピチュ遺跡が好きで、新婚旅行もペルーに行ったほど、南米は縁のある場所なのです。自然や遺跡はもちろん、人との出会いが作品を支えてくれていると思います。

自家製食材作りにも奮闘!

現在は、少なくとも月12日、美術館で仕事をしています。それ以外の日は専ら画家業です。1作品を仕上げるのに約1ヶ月かけるため、公募展や個展の前は、ほとんど自宅のアトリエで過ごしています。
絵以外の楽しみは、夫婦で自家製の味噌を作ったり、自宅で肉や魚のスモークを作ったりすること。ベーコンも作っているのですよ。たとえば味噌なら大豆を煮て、つぶし、麹を加えて発酵させていくなど、手間暇はかかるけれど、作業の過程自体が面白いのです。絵を描くことに似ているかもしれませんね。最近はダッチオーブンにも凝っていて、いろいろな料理に家族でチャレンジしています。