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(2021年9月24日)
はぎたに かえで 2000年生まれ 佐久市浅科出身 浅科中学校卒業後、長野東高等学校に入学し陸上部駅伝チームに所属 2018年全国高等学校駅伝競走大会女子準優勝 高校卒業後、エディオン入社 女子陸上部所属 第74回国民体育大会1500m優勝 2021年クロスカントリー日本選手権優勝 東京2020オリンピック陸上女子5000mに出場し自己ベストを更新
小さい頃から走ることが好きでした。小学校の運動会では6年間リレーの選手に選ばれ、マラソン大会では男子に混じって上位でゴールするなど、走ることが得意で楽しかったです。小学2年生からはじめたバスケットボールにも熱中していました。中学時代は、浅科中学校に陸上部がなかったため、バスケ部に入りバスケに打ち込みました。ただ、走るのはずっと大好きだったので、高校では長距離をやろうと決めていました。「やるからには強豪校で」との思いから、女子駅伝の強豪・長野東高校に入学。下宿生活になるので親元を離れるのが辛く、迷った上での決断でした。腹をくくって入学したのにやはりすごく寂しくて、よく実家に電話をしていました。
毎日の練習では1日30kmほど走っています。好きな食べ物はお米、ソウルフードは五郎兵衛米の卵かけご飯!
高校時代はケガが多く、貧血にも悩まされました。毎年秋〜冬になると故障してしまい、1年の半分も走れない年もありました。全国高等学校駅伝競走大会で走れたのは最後の1年だけ。うまく走れないことが多く土台作りの3年間だったと思います。でもやめたいと思ったことは一度もありません。陸上漬けの毎日で、完全燃焼できました。当時のキャプテン小林成美さん(現・名城大学駅伝部)は、一番の友人であり切磋琢磨してきたライバルです。今も彼女の活躍に力をもらっています。
高校時代からオリンピック出場が目標でした。オリンピックに出るための近道は実業団だと思い、高校卒業後エディオンに入社。結果を残さないといけないというプレッシャーはありますが、自分自身を高められる環境の中、競技に集中することができています。パリオリンピックを視野に入れていたのですが、東京大会が1年延期になったことなど偶然が重なり、自分にチャンスが巡ってきて出場できることになりました。運があったのだと思います。
エディオン入社3年目の20歳。来年の世界選手権や2024パリ五輪での活躍が期待されます
初めてのオリンピックは楽しんで迎えられました。国際大会に出たこともなく、失うものもないので全力で挑みました。自己ベストは更新しましたが、周りの日本人選手は日本記録更新や入賞などの活躍があり、チームジャパンを背負っているひとりとして悔しさが残りました。オリンピックだからこそ学べたことが多く、世界の壁を感じることができ、次の目標が明確になりました。3年後のパリ大会では5000mだけでなく10000mにも出場し、入賞するのが目標です。
オリンピックに出場して、たくさんの応援メッセージなど、反響がすごくて驚きました。佐久市内の横断幕にも感激し、いろいろな方の力を感じました。本当に皆さんの応援が力になり、足を動かす原動力になったと思っています。
中学・高校時代は、浅科の卵屋さんの横の道を登り、東御・小諸へ抜けるルートが練習コースでした。当時は折り返して10〜15キロを走りましたが、今はこのコースを25キロほど走ります。山が多い土地で育ったためかアップダウンが得意です。長野県は走るにはとても良い土地なので、私の走りでたくさんの人に走る楽しさを知ってもらえたらうれしいです。
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はぎたに かえで 2000年生まれ 佐久市浅科出身 浅科中学校卒業後、長野東高等学校に入学し陸上部駅伝チームに所属 2018年全国高等学校駅伝競走大会女子準優勝 高校卒業後、エディオン入社 女子陸上部所属 第74回国民体育大会1500m優勝 2021年クロスカントリー日本選手権優勝 東京2020オリンピック陸上女子5000mに出場し自己ベストを更新
小さい頃から走るのが好き
小さい頃から走ることが好きでした。小学校の運動会では6年間リレーの選手に選ばれ、マラソン大会では男子に混じって上位でゴールするなど、走ることが得意で楽しかったです。小学2年生からはじめたバスケットボールにも熱中していました。中学時代は、浅科中学校に陸上部がなかったため、バスケ部に入りバスケに打ち込みました。ただ、走るのはずっと大好きだったので、高校では長距離をやろうと決めていました。「やるからには強豪校で」との思いから、女子駅伝の強豪・長野東高校に入学。下宿生活になるので親元を離れるのが辛く、迷った上での決断でした。腹をくくって入学したのにやはりすごく寂しくて、よく実家に電話をしていました。
駅伝強豪校での経験
毎日の練習では1日30kmほど走っています。好きな食べ物はお米、ソウルフードは五郎兵衛米の卵かけご飯!
高校時代はケガが多く、貧血にも悩まされました。毎年秋〜冬になると故障してしまい、1年の半分も走れない年もありました。全国高等学校駅伝競走大会で走れたのは最後の1年だけ。うまく走れないことが多く土台作りの3年間だったと思います。でもやめたいと思ったことは一度もありません。陸上漬けの毎日で、完全燃焼できました。当時のキャプテン小林成美さん(現・名城大学駅伝部)は、一番の友人であり切磋琢磨してきたライバルです。今も彼女の活躍に力をもらっています。
高校時代からオリンピック出場が目標でした。オリンピックに出るための近道は実業団だと思い、高校卒業後エディオンに入社。結果を残さないといけないというプレッシャーはありますが、自分自身を高められる環境の中、競技に集中することができています。パリオリンピックを視野に入れていたのですが、東京大会が1年延期になったことなど偶然が重なり、自分にチャンスが巡ってきて出場できることになりました。運があったのだと思います。
オリンピックを経験して
エディオン入社3年目の20歳。来年の世界選手権や2024パリ五輪での活躍が期待されます
初めてのオリンピックは楽しんで迎えられました。国際大会に出たこともなく、失うものもないので全力で挑みました。自己ベストは更新しましたが、周りの日本人選手は日本記録更新や入賞などの活躍があり、チームジャパンを背負っているひとりとして悔しさが残りました。オリンピックだからこそ学べたことが多く、世界の壁を感じることができ、次の目標が明確になりました。3年後のパリ大会では5000mだけでなく10000mにも出場し、入賞するのが目標です。
オリンピックに出場して、たくさんの応援メッセージなど、反響がすごくて驚きました。佐久市内の横断幕にも感激し、いろいろな方の力を感じました。本当に皆さんの応援が力になり、足を動かす原動力になったと思っています。
中学・高校時代は、浅科の卵屋さんの横の道を登り、東御・小諸へ抜けるルートが練習コースでした。当時は折り返して10〜15キロを走りましたが、今はこのコースを25キロほど走ります。山が多い土地で育ったためかアップダウンが得意です。長野県は走るにはとても良い土地なので、私の走りでたくさんの人に走る楽しさを知ってもらえたらうれしいです。