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(2021年12月27日)
とえだ ただたか 1976年神奈川県生まれ 高校卒業後、フランス料理店で腕を磨き22歳で渡仏「ジャンポールジュネ」「ジョルジュブラン」「オーベルジュ・ド・クロ・デ・シーム」などの名店で修業2007年「ドメイヌ・ドゥ・ミクニ」開店時に料理長として就任 2011年軽井沢に「Restaurant TOEDA」開店 ひらまつ杯 2019(ボキューズ・ドール国際料理コンクール日本代表選考会)で優勝2021年9月ボキューズ・ドール国際料理コンクール2021に日本代表として出場
神奈川県で生まれ、幼少期は鹿児島県や滋賀県で過ごしました。鹿児島県に住んでいた頃は近所の野山や川で友人たちと遊ぶことが多く、川で釣った魚を捌いたり焼いたりといった細かな作業が好きで、手先も器用な方でした。高校時代、テレビ番組でプロの料理人が制限時間内に数々の料理を作る姿に感動し、高校卒業後は料理人になるために実家のある滋賀県のイタリア料理店で修業を始めました。様々な料理に触れる中で、フランス料理の奥深さに感銘を受け、滋賀県や都内のフランス料理店でフランス料理の基礎を学びました。その時「フランスに渡り、本場のフランス料理を学ぼう」と心に決め、22歳の時に渡仏しました。
ボキューズ・ドール国際料理コンクールで披露した、長野県産の食材を使い、軽井沢の秋の森の中をイメージした料理
約2年半のフランスでの修業は学ぶことが多く、とても濃厚な時間を過ごしました。野菜1つにしてもシェフ自らが産地に赴き生産者と直接話をし、食材に対する知識を得た上で調理をします。料理人と生産者との物理的距離が近いことにも驚きました。
2000年に日本に戻ってからは都内で更に腕を磨きました。2007年に軽井沢のフレンチレストラン「ドメイヌ・ドゥ・ミクニ」の初代料理長となり、軽井沢へ移住。自分の培った力を試そうと2011年に独立し、「Restaurant TOEDA」をオープンさせました。お客様に落ち着いた空間でゆっくり食事をしていただきたいと考え、自然豊かな湯川のほとりに店を構えました。出店先を軽井沢に選んだのも軽井沢の風土がフランスに似ていると感じたからです。
独立当初は特別なこだわりがなかったため、入手困難な食材を都内やフランスから仕入れていました。しかし、軽井沢で多くの方に出会い、長野県内の様々な食材の生産者と知り合ったことで「長野には素晴らしい食材がたくさんある」と感じ、積極的に県内産の食材を取り入れるようになりました。現在、料理の約9割は長野県産の食材を使ったものになっています。
普段は奥様と二人三脚。「多くの方のサポートのお陰で大会に出場することができました」と戸枝シェフ
日本国内のフランス料理人が腕を競い合う「ひらまつ杯」は、大会の2年後にフランスで開催される「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」の日本代表選考会も兼ねています。大会には2017年と2019年の2回出場しました。2019年にこの大会で優勝し、2021年のボキューズ・ドール国際料理コンクールに日本代表として出場することが決まりました。
ひらまつ杯は個人での戦いですが、ボキューズ・ドール国際料理コンクールはチームJAPANとして代表に選ばれた3人が力を合わせて世界の料理人と競います。結果は21ヶ国中9位。コロナ禍で2度開催が延期されるなど精神的に辛い部分もありましたが、大会では日本代表として自分たちの力を発揮することができ、世界トップレベルの技術の高さに刺激を受けました。
大会出場にあたっては、家族や多くの方に協力していただきました。店も半年ほど休業しましたが、2021年11月より再開。大会出場は自分の料理を見直す良い機会だったと感じています。一人でも多くのお客様に喜んでいただけるよう、これからも日々精進していきます。
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とえだ ただたか 1976年神奈川県生まれ 高校卒業後、フランス料理店で腕を磨き22歳で渡仏「ジャンポールジュネ」「ジョルジュブラン」「オーベルジュ・ド・クロ・デ・シーム」などの名店で修業2007年「ドメイヌ・ドゥ・ミクニ」開店時に料理長として就任 2011年軽井沢に「Restaurant TOEDA」開店 ひらまつ杯 2019(ボキューズ・ドール国際料理コンクール日本代表選考会)で優勝2021年9月ボキューズ・ドール国際料理コンクール2021に日本代表として出場
かっこいい料理人に憧れて
神奈川県で生まれ、幼少期は鹿児島県や滋賀県で過ごしました。鹿児島県に住んでいた頃は近所の野山や川で友人たちと遊ぶことが多く、川で釣った魚を捌いたり焼いたりといった細かな作業が好きで、手先も器用な方でした。高校時代、テレビ番組でプロの料理人が制限時間内に数々の料理を作る姿に感動し、高校卒業後は料理人になるために実家のある滋賀県のイタリア料理店で修業を始めました。様々な料理に触れる中で、フランス料理の奥深さに感銘を受け、滋賀県や都内のフランス料理店でフランス料理の基礎を学びました。その時「フランスに渡り、本場のフランス料理を学ぼう」と心に決め、22歳の時に渡仏しました。
ボキューズ・ドール国際料理コンクールで披露した、長野県産の食材を使い、軽井沢の秋の森の中をイメージした料理
フランスを経て軽井沢へ
約2年半のフランスでの修業は学ぶことが多く、とても濃厚な時間を過ごしました。野菜1つにしてもシェフ自らが産地に赴き生産者と直接話をし、食材に対する知識を得た上で調理をします。料理人と生産者との物理的距離が近いことにも驚きました。
2000年に日本に戻ってからは都内で更に腕を磨きました。2007年に軽井沢のフレンチレストラン「ドメイヌ・ドゥ・ミクニ」の初代料理長となり、軽井沢へ移住。自分の培った力を試そうと2011年に独立し、「Restaurant TOEDA」をオープンさせました。お客様に落ち着いた空間でゆっくり食事をしていただきたいと考え、自然豊かな湯川のほとりに店を構えました。出店先を軽井沢に選んだのも軽井沢の風土がフランスに似ていると感じたからです。
独立当初は特別なこだわりがなかったため、入手困難な食材を都内やフランスから仕入れていました。しかし、軽井沢で多くの方に出会い、長野県内の様々な食材の生産者と知り合ったことで「長野には素晴らしい食材がたくさんある」と感じ、積極的に県内産の食材を取り入れるようになりました。現在、料理の約9割は長野県産の食材を使ったものになっています。
普段は奥様と二人三脚。「多くの方のサポートのお陰で大会に出場することができました」と戸枝シェフ
大会で得られたことを糧に
日本国内のフランス料理人が腕を競い合う「ひらまつ杯」は、大会の2年後にフランスで開催される「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」の日本代表選考会も兼ねています。大会には2017年と2019年の2回出場しました。2019年にこの大会で優勝し、2021年のボキューズ・ドール国際料理コンクールに日本代表として出場することが決まりました。
ひらまつ杯は個人での戦いですが、ボキューズ・ドール国際料理コンクールはチームJAPANとして代表に選ばれた3人が力を合わせて世界の料理人と競います。結果は21ヶ国中9位。コロナ禍で2度開催が延期されるなど精神的に辛い部分もありましたが、大会では日本代表として自分たちの力を発揮することができ、世界トップレベルの技術の高さに刺激を受けました。
大会出場にあたっては、家族や多くの方に協力していただきました。店も半年ほど休業しましたが、2021年11月より再開。大会出場は自分の料理を見直す良い機会だったと感じています。一人でも多くのお客様に喜んでいただけるよう、これからも日々精進していきます。