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(2021年11月24日)
©︎YOSHI KATO
かねばこ じゅんいち 1984年佐久市浅科出身 神戸芸術工科大学助教 長野県野沢北高等学校、岩手県立大学卒業 情報科学芸術大学院大学で修士号、筑波大学大学院で博士号を取得 障がいの有無に関わらず音楽を楽しめる「共遊楽器(造語) 」 を研究、開発している 東京2020パラリンピック閉会式演出協力や、長野県立美術館の作品制作等、クライアントワーク多数
今の活動の原点は、子どもの頃に遊びを作り楽しんだ体験です。父親の趣味が車いじりだったので、家には部品がたくさんありました。おもちゃを買ってもらうことは少なく、ネジやバネといった自分の周りにあるものを使って遊びを作り楽しんでいたように思います。小学生になると友達との外遊びでも遊びを作るようになりました。例えば、公園に行った時には持っていたボールをジャングルジムの上から落としてドッジボールのようにしたり、その都度ルールや仕組みを作り遊んでいました。面白いと友達が褒めてくれるのも嬉しかったです。そんなふうにみんなで遊びを作る面白さや体験が今の活動の原動力になっています。
©︎Shinichi Kanai短冊を扇ぐことで長野の風景を音で感じる「音鈴 – 信濃」
高校時代はサッカー班に所属し、応援団もしていました。学校は楽しかったですが、勉強はできませんでした。弁当を持ち家を出ても学校へは行かずサボることもしばしば…。大学には入学できましたが、センター試験は完全に失敗でした。大学に入ってからも悩んだり迷ったり。でも人生という長い時間軸で見ると失敗した経験はプラスになっているので、失敗したり悩んだりすることも必要だったと思います。
パソコンは好きでしたので大学は情報工学系に進みましたが、大学での学びもシステムエンジニアになるという将来も何か違う気がしていました。そんな時、授業の中でマサチューセッツ工科大学教授でインターフェース研究者・石井裕さんの紹介番組を見て工学系分野でも表現ができることを知りました。その時知った「メディアアート」に興味を持ち、大学院に進学しました。
現在は、障がいのある人もない人も一緒に遊べる楽器「❇︎共遊楽器」を研究、制作しています。研究のきっかけは大学院時代。オーストリアへ短期留学し、色々な国の人とセッションバンドを組み、英語が苦手でも楽器という非言語のコミュニケーションで友達と仲良くなれることに大きな可能性を感じました。それから楽器の研究に取り組み、最初に作ったのは誰でも簡単に弾ける弦のないギター「マウンテンギター」でした。その後、玩具メーカーに就職し2年半ほど働きましたが、その時に視覚や聴覚に障がいがあっても一緒に楽しめる「共遊玩具」を知り、これを楽器に適用できればいいなと思いつき「共遊楽器」の研究を始めました。
打楽器になっていて叩いた振動を相手に伝えるベンチ「Vibracion Banco」
音の世界は耳で捉えがちですが、音を振動に変えると肌で感じることができ、可視化すれば目で音を感じることができます。音を見たり、触ったり、音の多様性を表現することで音の世界が広がり、もっと色々な人が音楽を楽しめるようになります。共遊楽器を使った新しい音楽の楽しみ方で、健常者と障がいのある人との橋渡し役ができればと思っています。
作品は自分ひとりで作るのではなく、様々な分野のプロと共同で制作しています。みんなと一緒に作って遊んだ幼少期の体験が今でも続いているようで、ずっと遊んでいるような感じです(笑)。これからも楽しみながら人間の可能性を広げる新しい道具を作っていきたいと思います。
❇︎共遊楽器は金箱さんによる造語です
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©︎YOSHI KATO
かねばこ じゅんいち 1984年佐久市浅科出身 神戸芸術工科大学助教 長野県野沢北高等学校、岩手県立大学卒業 情報科学芸術大学院大学で修士号、筑波大学大学院で博士号を取得 障がいの有無に関わらず音楽を楽しめる「共遊楽器(造語) 」 を研究、開発している 東京2020パラリンピック閉会式演出協力や、長野県立美術館の作品制作等、クライアントワーク多数
遊びを作った体験が原動力
今の活動の原点は、子どもの頃に遊びを作り楽しんだ体験です。父親の趣味が車いじりだったので、家には部品がたくさんありました。おもちゃを買ってもらうことは少なく、ネジやバネといった自分の周りにあるものを使って遊びを作り楽しんでいたように思います。小学生になると友達との外遊びでも遊びを作るようになりました。例えば、公園に行った時には持っていたボールをジャングルジムの上から落としてドッジボールのようにしたり、その都度ルールや仕組みを作り遊んでいました。面白いと友達が褒めてくれるのも嬉しかったです。そんなふうにみんなで遊びを作る面白さや体験が今の活動の原動力になっています。
©︎Shinichi Kanai
短冊を扇ぐことで長野の風景を音で感じる「音鈴 – 信濃」
メディアアートとの出会い
高校時代はサッカー班に所属し、応援団もしていました。学校は楽しかったですが、勉強はできませんでした。弁当を持ち家を出ても学校へは行かずサボることもしばしば…。大学には入学できましたが、センター試験は完全に失敗でした。大学に入ってからも悩んだり迷ったり。でも人生という長い時間軸で見ると失敗した経験はプラスになっているので、失敗したり悩んだりすることも必要だったと思います。
パソコンは好きでしたので大学は情報工学系に進みましたが、大学での学びもシステムエンジニアになるという将来も何か違う気がしていました。そんな時、授業の中でマサチューセッツ工科大学教授でインターフェース研究者・石井裕さんの紹介番組を見て工学系分野でも表現ができることを知りました。その時知った「メディアアート」に興味を持ち、大学院に進学しました。
誰もが楽しめる「共遊楽器」
現在は、障がいのある人もない人も一緒に遊べる楽器「❇︎共遊楽器」を研究、制作しています。研究のきっかけは大学院時代。オーストリアへ短期留学し、色々な国の人とセッションバンドを組み、英語が苦手でも楽器という非言語のコミュニケーションで友達と仲良くなれることに大きな可能性を感じました。それから楽器の研究に取り組み、最初に作ったのは誰でも簡単に弾ける弦のないギター「マウンテンギター」でした。その後、玩具メーカーに就職し2年半ほど働きましたが、その時に視覚や聴覚に障がいがあっても一緒に楽しめる「共遊玩具」を知り、これを楽器に適用できればいいなと思いつき「共遊楽器」の研究を始めました。
打楽器になっていて叩いた振動を相手に伝えるベンチ「Vibracion Banco」
音の世界は耳で捉えがちですが、音を振動に変えると肌で感じることができ、可視化すれば目で音を感じることができます。音を見たり、触ったり、音の多様性を表現することで音の世界が広がり、もっと色々な人が音楽を楽しめるようになります。共遊楽器を使った新しい音楽の楽しみ方で、健常者と障がいのある人との橋渡し役ができればと思っています。
作品は自分ひとりで作るのではなく、様々な分野のプロと共同で制作しています。みんなと一緒に作って遊んだ幼少期の体験が今でも続いているようで、ずっと遊んでいるような感じです(笑)。これからも楽しみながら人間の可能性を広げる新しい道具を作っていきたいと思います。
❇︎共遊楽器は金箱さんによる造語です