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(2020年8月1日)
もりずみ たけお 1968年佐久市生まれ 長野工業高等専門学校土木課卒業後佐久市の建設会社に就職 1990年21歳で消防団入団 以来31年間消防団活動を続ける 2020年4月佐久市消防団団長に就任
劣等感と自立心から高専へ
平尾山近くで生まれ育ち、小学生の頃はよく遊びに行っていました。当時カブト虫を1番捕まえたのは自分だと思うほど沢山のカブト虫を家で飼っていました。児童会長をしていた6年生の時に、平根小学校花壇が内閣総理大臣賞を受賞。表彰式に児童代表として出席したのを今も憶えています。姉と妹の3人兄弟ですが1つ上の姉が優秀だったため、先生やクラスメイトにも比べられ、多少の劣等感を感じて育ちました。いつも比較される姉と同じ高校に進むのが嫌で、担任の先生に相談したところ、土木課のある長野工業高等専門学校(以下高専)を勧められました。中学3年の頃には、将来人のためになることがしたいと考えるようになり、また、道路や橋を作る土木関係の仕事に憧れもあったため、高専は自分が進むべき道だと思いました。5年間実家を離れての学生生活の中で、勉強は大変でしたが、今では親友となった寮で一緒に過ごした仲間との時間はかけがえのない宝物だと感じています。
「当たり前」の消防団入団
「音楽で心を癒して」。文化的な活動にも力を入れています
高専を卒業し地元佐久の建設会社に就職。社会人になった2年目のある日、仕事から帰ると消防法被が用意されていました。祖父の代から父親も消防団で活動しているのを見ていたので、自分もいずれ消防団に入るのだろうと思っていました。近所の人にも入団するのが当たり前だと思われていたので、それほど抵抗なく団員になりました。
若い頃は仕事や自分の用事が忙しく、あまり一生懸命に消防団活動に参加していなかったように思います。それでも訓練や集まりに参加したときには、ずっと年上の先輩が良く面倒を見てくれたり、タテヨコのつながりがしっかりとできているので居心地が良かったです。40歳を過ぎたあたりから「自分の1番の幸せは何か」を考えるようになりました。ちょうどその頃団の幹部にもなり、ボランティア精神が芽生えてきたような気がします。人に「ありがとう」といってもらえる喜び、見返りなく何かを与えられたときの喜びを感じられることは本当に幸せです。
お互いに尊重し合える組織
今年度初めての音楽隊の練習で新団員へ委嘱状を交付
消防団は火事のときだけではなく、自然災害時にも対応できる知識を学んでおかないといけません。エキスパートになるわけではないですが、地域の安全・安心を守るうえでは大切。その知識が自信となって有事の際の的確な行動につながります。
今年団長に任命していただき、さらに周りの方々への感謝の気持ちが大きくなりました。消防団は家族や会社の協力、理解なしには活動できません。多くの人の理解がある中で、それぞれの団員が活動に参加できているのだと思うと本当に有難く、尊いことだと感じます。代々受け継がれてきた、「志を1つにしてお互いを尊重し合える組織」をこれまで以上にパワーアップさせ、防災システムをハード・ソフト両面で充実させていきたいと考えています。
父親が残した桃の栽培もしています。手入れが大変でやめたいなあと思うこともありますが、毎年楽しみにしている方々のために、近所の人の助けを借りながら作り続けています。
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もりずみ たけお 1968年佐久市生まれ 長野工業高等専門学校土木課卒業後佐久市の建設会社に就職 1990年21歳で消防団入団 以来31年間消防団活動を続ける 2020年4月佐久市消防団団長に就任
劣等感と自立心から高専へ
平尾山近くで生まれ育ち、小学生の頃はよく遊びに行っていました。当時カブト虫を1番捕まえたのは自分だと思うほど沢山のカブト虫を家で飼っていました。児童会長をしていた6年生の時に、平根小学校花壇が内閣総理大臣賞を受賞。表彰式に児童代表として出席したのを今も憶えています。姉と妹の3人兄弟ですが1つ上の姉が優秀だったため、先生やクラスメイトにも比べられ、多少の劣等感を感じて育ちました。いつも比較される姉と同じ高校に進むのが嫌で、担任の先生に相談したところ、土木課のある長野工業高等専門学校(以下高専)を勧められました。中学3年の頃には、将来人のためになることがしたいと考えるようになり、また、道路や橋を作る土木関係の仕事に憧れもあったため、高専は自分が進むべき道だと思いました。5年間実家を離れての学生生活の中で、勉強は大変でしたが、今では親友となった寮で一緒に過ごした仲間との時間はかけがえのない宝物だと感じています。
「当たり前」の消防団入団
「音楽で心を癒して」。文化的な活動にも力を入れています
高専を卒業し地元佐久の建設会社に就職。社会人になった2年目のある日、仕事から帰ると消防法被が用意されていました。祖父の代から父親も消防団で活動しているのを見ていたので、自分もいずれ消防団に入るのだろうと思っていました。近所の人にも入団するのが当たり前だと思われていたので、それほど抵抗なく団員になりました。
若い頃は仕事や自分の用事が忙しく、あまり一生懸命に消防団活動に参加していなかったように思います。それでも訓練や集まりに参加したときには、ずっと年上の先輩が良く面倒を見てくれたり、タテヨコのつながりがしっかりとできているので居心地が良かったです。40歳を過ぎたあたりから「自分の1番の幸せは何か」を考えるようになりました。ちょうどその頃団の幹部にもなり、ボランティア精神が芽生えてきたような気がします。人に「ありがとう」といってもらえる喜び、見返りなく何かを与えられたときの喜びを感じられることは本当に幸せです。
お互いに尊重し合える組織
今年度初めての音楽隊の練習で新団員へ委嘱状を交付
消防団は火事のときだけではなく、自然災害時にも対応できる知識を学んでおかないといけません。エキスパートになるわけではないですが、地域の安全・安心を守るうえでは大切。その知識が自信となって有事の際の的確な行動につながります。
今年団長に任命していただき、さらに周りの方々への感謝の気持ちが大きくなりました。消防団は家族や会社の協力、理解なしには活動できません。多くの人の理解がある中で、それぞれの団員が活動に参加できているのだと思うと本当に有難く、尊いことだと感じます。代々受け継がれてきた、「志を1つにしてお互いを尊重し合える組織」をこれまで以上にパワーアップさせ、防災システムをハード・ソフト両面で充実させていきたいと考えています。
父親が残した桃の栽培もしています。手入れが大変でやめたいなあと思うこともありますが、毎年楽しみにしている方々のために、近所の人の助けを借りながら作り続けています。