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精神対話士 宮﨑 舞子さん

みやざき まいこ 1979年上田市生まれ、佐久市在住 東京エアトラベルホテル専門学校卒業後、都内のホテルに勤務 子育てをきっかけに心のケアの専門職「精神対話士」を目指す 2020年7月佐久地域初の精神対話士に認定される

 

 人の心に寄り添いたい

小さい頃は看護師に憧れていましたが、学生時代は英語に興味があったのでCAを目指し専門学校に進みました。折しも就職氷河期だったため、希望の職には就けず都内のホテルに就職し、20代後半まで勤めました。接客の仕事が好きで現在も地元のホテルに勤務しています。

20代の終わりに祖父母が相次いで亡くなり、人の死に直面した時、何もできない自分へのもどかしさを感じました。晩年の祖母は家族のことがわからなくなっていたのですが、話しかけたらぽろっと涙を流したことがありました。たとえわからなくても会話は大事なんだと気付かされた出来事でした。この頃から心のケアに興味が芽生え、人のためになる仕事がしたいと思うようになりました。

上田に戻り結婚し、長男、長女を出産。主人の地元である望月に居を構え、子育てをしました。長女は歩き始めるのも言葉が出るのも平均と比べて遅く、心配が尽きませんでした。市の検診が憂鬱で悩みを話せる場所もなく、不安を抱える日々。気軽に話ができる場所があればと思いました。子育てや仕事をしながらでもできることを探す中で精神対話士の存在を知り、資格取得にチャレンジしました。

 

 家族の後押しに感謝

講座受講後の資格試験は合格率15%の難関。資格取得後も日々の勉強を欠かしません

精神対話士は1993年に慶應義塾大学医学部出身の医師たちが中心となって設立した「一般財団法人メンタルケア協会」の資格制度です。心の痛みを感じている方の元へ出向いて話を聞き、温かな対話を通して気持ちに寄り添い共感しながら受け入れ、よりよい生活を送れるよう精神的な支援を行う心のケアの専門職です。

資格取得の際には、子育てと仕事を両立しながら週末を中心に東京へ通い、養成講座を受講。死生論、人身医学、精神医学、看護と介護など必要な知識を学びました。実践過程では自分がクライアント(相談者)になり、精神対話士役の人と対話をするのですが、その際幼少期の追体験をしました。周りの人にうまく甘えられず苦しかった経験、人間関係に悩み不登校気味になった経験などを涙を流しながら話し、聞いてもらえたことで胸のつかえが取れ、気持ちが楽になりました。過去の経験が今の自分に繋がっていることを認識し、精神対話士の重要性を感じることができました。

40歳を過ぎての挑戦。主人と実家の家族の後押しがあったからこそできたことです。やりたいことに挑戦させてくれた家族には感謝しかありません。

 

 希望の光を見つけて灯す

依頼は一般財団法人メンタルケア協会03-3405-7270へ

精神対話士は対話の中で心の痛みに寄り添い共感し、希望の光を灯すのが役割だと考えています。希望の光はどんな方にも必ずあるので、対話の中でご自身で見つけることができるよう真心を持って寄り添いたい。また、学ぶことで自分自身が救われることもある資格だと思います。

自分も子を持つ母親なので、市や学校などと連携して、不登校児や保護者と対話する活動もしていきたいと考えています。コロナ禍で自殺者も増えていると聞きます。辛い気持ちを抱えている人に寄り添い、力になれるよう努力したいと思っています。