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−niitu−(ニーツ) デザイナー 新津 祥太さん

1にいつ しょうた 1982年佐久穂町生まれ 岩村田高校卒業後、建築業を経てVantanデザイン研究所卒業 カットソーメーカーのパタンナー、ファッションブランドの企画デザインを経験 2011年に弟の新津志朗氏と「-niitu-」を立ち上げる 2017年度Tokyo新人デザイナーファッション大賞プロ部門入賞

 

 

大工になると信じていたが…

男4人兄弟の長男で、父親が建築業をしているため、幼少期からずっと「父の跡を継いで大工になる」ということ以外考えていませんでした。高校を卒業して大工の修業を始めましたが、しばらくすると「あれ?俺、才能ないな」と感じるように。次男が同じ時期に一緒に働き始めたのですが、明らかに弟の方が才能がありました。やるからにはすごい大工になりたいと思っていたのですが、このままでは弟にも勝てない…、まさか向いていないとは予想外でした。

さてどうしようかと思ったとき、「そうだ、俺、服好きじゃん」と気付いたのです。母親のクローゼットの中から自分が着られそうなものを探したり、服を買うためにひたすらバイトをしたり。服=デザイナーというイメージしかなかったので、大工を辞め、デザイナーを目指すことにしました。父親には「ばかやろう、できるわけねぇ」と言われましたが、応援してると言われるより俄然やる気が出て、「やってやるぜ、見とけよ」と思い、決断しました。

 

ニートが2人でニーツ!?3

21歳で上京し、専門学校に入学しました。在学中にヨージヤマモトでインターンをし、卒業後は有名ブランドのカットソーを作る縫製工場でパタンナーとして3年間働きました。その後、就職活動に苦戦しながらもようやくレディスブランドの企画デザインに採用されました。やっとデザイナーになったものの、仕事内容も人間関係も向いておらず、落ち込むばかり。ちょうどそのタイミングで販売の仕事をしていた四男の弟から、「ブランドやろうよ」という話があり、貯金もツテも何もないにもかかわらず、会社を辞めてしまいました。「新津兄弟が2人無職になって、ニート2人だし、ニーツだな(笑)」と、2011年1月1日に「-niitu-」を立ち上げました。弟はデザインはできませんが、センスと販売能力が抜群なので、デザインの前段階で必ず相談し、一緒にテーマや方向性を決めています。

 

世界で一番になりたい

最初は年2回のアートイベント「デザインフェスタ」に出店したり、月1回開催される雑司ヶ谷の手作り市で販売を始めました。それがたまたま百貨店の催事担当者の目に止まり、府中伊勢丹でポップアップショップ(期間限定出店)を手掛けることに。1週間の出店でしっかり売り上げを確保し、他の百貨店でも出店できるようになりました。今も実店舗は持たず、ネットとポップアップショップでの販売がメインです。

ブランドコンセプトは「現代和装」。直線的で体型を選ばない、老若男女誰もが着られるユニセックスな服を展開しています。2

今年「Tokyo新人デザイナーファッション大賞」に入賞。「渋谷ファッションウイーク」に呼ばれたり、中国から大きな受注が入ったり、いよいよこれからです。今後は上海を中心とした中国、アジア圏での展開を目指しています。国内では買ってくださるお客様に好きでいていただけるブランドであり続けることが目標。母親は言わない方が良いと言っていましたが、「世界で一番になりたい」。大口をたたいて、自分にプレッシャーをかけながら一歩ずつ登っていきたいです。