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(2018年1月1日)
ぶろんそん 本名:岡村善行 別ペンネーム:史村翔 1947年
佐久市生まれ 漫画原作者 代表作に 『北斗の拳』『ドーベルマン刑事』『サンクチュアリ』など多数 現在はビッグコミックスペリオール (小学館)にて『BEGIN』(作画:池上遼一)を連載中
貧乏でも明るくのびのびと
子ども時代、当時、まだテレビもなく、遊びといえばとにかく外。夏は千曲川で泳ぎ、冬は凍らせた田んぼで下駄スケート。ビンボーでロクなご飯も食べずに、よく風邪もひかず大病もせず、生きながらえたと思います(笑)。 岸野小学校という1学年3クラスの、のんびりした環境で育ち、そのまま同じ校内の中学へ進みましたが2年生の時に環境が激変。野沢中学校と統合されたため、いきなり1学年9クラスとなり、井の中の蛙であったことを痛感しました。 部活は野球部。岸野時代はそこそこの自信もありましたが、“大都会・野沢の部員は身体からして違う”“何食ってんだこいつら”、この時点ですでに負けですね。それでもレギュラーでいられたのは監督が担任の先生だったから(笑)。 この時代はイジメなどなく、本当に古き良き時代。ビンボーでも少々デキが悪くてもみんな楽しく明るく生きていました。勉強は二の次、学校は友達と遊ぶ場でした。
漫画原作者の世界へ
漫画の原作者という道に進んだきっかけは、結論からいうと偶然の“縁”と“運”。 15歳で入隊した航空自衛隊を22歳で退職し、東京でプータローをしていた時に自衛隊の同期生だった漫画家・本宮ひろ志先生に声をかけられ、本宮プロのアシスタントという名の居候になりました。この居候の余りの無能ぶりに当時の本宮先生の担当編集者が、私を先生から引き離すことを画策。そのためには私に仕事を与えなければならず、原作者への道を開いてくれました。この“縁”と“運”がなければ、プータローのままでいたかも知れません。 しかし、素人がいきなり原作者を目指してもうまく転がる訳もなく、最初のヒット作『ドーベルマン刑事』が出るまで5年を要すことになります。 他に進む道も仕事もなく、背水の陣で飛び込んだ漫画の原作者という世界。何とか今日まで喰らいついて生きてこられたのは本宮先生、担当編集者への恩返しでもあるからです。
プロを養成する漫画塾開塾
野沢中学校の同窓会が行われた際、商工会議所会頭の樫山氏らと酒を飲
みながら、佐久市の町おこしの話などになりました。酒の勢いもあって話がどんどんエスカレートしていき、「漫画塾を開塾しよう」ということになりました。 もちろん、これには市側の協力が絶対条件であり、2017年に入って市側に提案したところ快諾が得られ、市の全面協力のもとに開塾が決定しました。 2018年4月の開塾にむけて、現時点で講師のリストなどは順調に進んでいますが、問題は佐久という地方に生徒が来てくれるかどうか…。町おこしでもあり、ここは何とかしたいと関係者全員が頑張っています。 この塾は、あくまでもプロの漫画家や漫画原作者を養成するためのものなので、「講習終了後に1人でも2人でも、プロとしてデビューをしてくれたら開塾した意義がある」という思いで運営をしていくつもりです。
月刊ぷらざ編集部(株式会社信州広告社)
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ぶろんそん 本名:岡村善行 別ペンネーム:史村翔 1947年
佐久市生まれ 漫画原作者 代表作に 『北斗の拳』『ドーベルマン刑事』『サンクチュアリ』など多数 現在はビッグコミックスペリオール (小学館)にて『BEGIN』(作画:池上遼一)を連載中
貧乏でも明るくのびのびと
子ども時代、当時、まだテレビもなく、遊びといえばとにかく外。夏は千曲川で泳ぎ、冬は凍らせた田んぼで下駄スケート。ビンボーでロクなご飯も食べずに、よく風邪もひかず大病もせず、生きながらえたと思います(笑)。
岸野小学校という1学年3クラスの、のんびりした環境で育ち、そのまま同じ校内の中学へ進みましたが2年生の時に環境が激変。野沢中学校と統合されたため、いきなり1学年9クラスとなり、井の中の蛙であったことを痛感しました。
部活は野球部。岸野時代はそこそこの自信もありましたが、“大都会・野沢の部員は身体からして違う”“何食ってんだこいつら”、この時点ですでに負けですね。それでもレギュラーでいられたのは監督が担任の先生だったから(笑)。
この時代はイジメなどなく、本当に古き良き時代。ビンボーでも少々デキが悪くてもみんな楽しく明るく生きていました。勉強は二の次、学校は友達と遊ぶ場でした。
漫画原作者の世界へ
漫画の原作者という道に進んだきっかけは、結論からいうと偶然の“縁”と“運”。
15歳で入隊した航空自衛隊を22歳で退職し、東京でプータローをしていた時に自衛隊の同期生だった漫画家・本宮ひろ志先生に声をかけられ、本宮プロのアシスタントという名の居候になりました。この居候の余りの無能ぶりに当時の本宮先生の担当編集者が、私を先生から引き離すことを画策。そのためには私に仕事を与えなければならず、原作者への道を開いてくれました。この“縁”と“運”がなければ、プータローのままでいたかも知れません。
しかし、素人がいきなり原作者を目指してもうまく転がる訳もなく、最初のヒット作『ドーベルマン刑事』が出るまで5年を要すことになります。
他に進む道も仕事もなく、背水の陣で飛び込んだ漫画の原作者という世界。何とか今日まで喰らいついて生きてこられたのは本宮先生、担当編集者への恩返しでもあるからです。
プロを養成する漫画塾開塾
野沢中学校の同窓会が行われた際、商工会議所会頭の樫山氏らと酒を飲
みながら、
佐久市の町おこしの話などになりました。酒の勢いもあって話がどんどんエスカレートしていき、「漫画塾を開塾しよう」ということになりました。
もちろん、これには市側の協力が絶対条件であり、2017年に入って市側に提案したところ快諾が得られ、市の全面協力のもとに開塾が決定しました。
2018年4月の開塾にむけて、現時点で講師のリストなどは順調に進んでいますが、問題は佐久という地方に生徒が来てくれるかどうか…。町おこしでもあり、ここは何とかしたいと関係者全員が頑張っています。
この塾は、あくまでもプロの漫画家や漫画原作者を養成するためのものなので、「講習終了後に1人でも2人でも、プロとしてデビューをしてくれたら開塾した意義がある」という思いで運営をしていくつもりです。