ぷらざINFO/信州人

映像制作 尹 美亜さん

1ゆん みあ 1975年佐久市生まれ 映像制作 津田塾大学国際関係学科卒業 広報代理店やIT企業の広報担当後映画の世界へ おもな作品『サンマとカタール 女川つながる人々』制作プロデューサー  『シネマの天使』『こいのわ 婚活クルージング』プロデューサー

 

好奇心で学ぶことが好き

兄が2人いたので、家ではプロレスごっこなどが多く、人形やぬいぐるみには一切興味のない女の子でした。冬の田んぼで凧揚げをしたり、トラックの荷台に登って遠くの稲妻を眺めたりしたことをよく覚えています。元気で気が強く、正義感が強い子どもだったように思います。
生まれつき股関節脱臼で、幼い頃から中学生まで東京の病院に定期的に通っていました。両親には大変な苦労をかけましたが、おかげで東京が身近に感じられ、小学生の時には一人で東京へ通えるようになり、高校卒業後の進路も当然であるかのように東京の大学へ進学しました。今にしてみれば東京に限らず他の地域でも良かったかなと思いますが。
入院や通院のため学校は休みがちでしたが、勉強は好きでしたので成績は良かったです。しかし、宿題や夏休みの課題はギリギリにやるか、やらないか。興味を持ったことを学ぶのは好きですが、「これをしなさい」と強制されるのは嫌いでした。

 

 「伝える」から「作る」へ

東京の大学を卒業した後はインドの大学でデザインを勉強。帰国後は広報代理店やIT企業の広報を担当。「伝える」広報の仕事をする中で、次第に「作る」ということに興味をもつようになり、その後、縁あって映画の世界へ。日米合作映画で日本とアメリカを往復したり、NHKのドキュメンタリー番組の制作に携わる中で2010年に平成プロジェクトに参加し、制作プロデューサーを務めたりもしました。
数々の映画制作に係わる中で、制作プロデューサーとして参加した『サンマとカタール 女川つながる人々』で、初めて被災地と深く係わるようになり、次第にその土地の人々に魅了されていきました。宮城県女川町の人々はとにかく明るい。あれだけの苦難から復興しているという強い自負と、もっと高いところへ向かう強靭な意志がありながらも、いつも冗談を言い、笑い合っているのです。表面的には柔らかい、けれども内側にはものすごい強さを秘めている、その人間力に深く感嘆しました。

 

心の復興の手助けに2

初監督作品となる『一陽来復 Life Goes On』では、延べ60日、岩手・宮城・福島に通い、100人以上の人に話を聞きました。震災から7年が経ち、メディアなどで取り扱われることも少なくなってきていますが、東北にはいまだに仮設住宅で暮らしている人がいます。じっと我慢して待っています。「そんな東北の人々を応援したい」、「この映画が慰めとなり、何かしらの役に立てば」との思いで撮影に挑みました。
震災という繊細なテーマを扱っていますが、重い映画にはしたくなかったので、取材に応じてくれた人々のありのままの姿、自然の姿を映像にしました。想像力を働かせながら、人の痛みや想いを感じて観ていただきたいと思います。今は毎日時間に追われて、時間に余裕がないですが、映像作りは面白いのでこれからも続けていきたいです。映画に限らず、何かしら「制作」に携わることをしていけたらと思っています。ただ、もう少し自然のペースに沿って暮らしていければいいなとは思いますね。