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塩沢産業グループ会長・蜂天国オーナー 塩澤 義國さん

1しおざわ よしくに 1938年立科町生まれ 石屋職人を経て34歳で塩沢産業を起業 幼い頃からスズメバチの捕獲、飼育を趣味とし巣の美しさをオブジェにした作品を制作 平成7年に1600点の蜂の巣コレクションを展示した「蜂天国」を設立 オーナーとしてスズメバチへの理解を呼びかける活動をする

 

石屋を経て砕石会社を起業

幼い頃に父親を戦争で亡くし、母親が農家をしながら育ててくれました。家業の農業をしていた23歳の頃、農閑期にたまたま土木仕事を手伝ったのをきっかけに石屋職人の道へ進むことに。「俺の仕事を盗め」という親方でしたので、最初の頃は「使い物にならない」とよく怒鳴られたものです。なんとか仕事を覚えようと大根を石に見立てて切り、石積みの練習をしたこともありました。農繁期は朝晩に畑仕事をし、昼は石屋として働き、34歳の時に独立。砕石会社を設立しました。経営者になってからは無我夢中で事業拡大に取り組んできました。
砕石、生コン事業が主力のため、毎日150台ものトラックが地域を飛び回っています。地域の皆様に迷惑をかけているため少しでも恩返しができればと始めた『花いっぱい運動』では、自社の砕石、生コン工場、ガソリンスタンドの26事業所すべてに花壇を作り、美しい花を育てています。地元の皆様に喜ばれる企業を目指し、活動を続けています。

 

2蜂の巣の芸術館を設立

趣味はスズメバチと花。子どもの頃、叔父に地バチ捕りを習い、蜂捕りに熱中しました。巣を大きくするために働く蜂の姿を眺め、蜂の子を食べるのが何よりも楽しみでした。
経営者になってから蜂捕りは一時中断していましたが、会社が安定した55歳のとき、知人宅の軒先にキイロスズメバチの巣を見つけ、その美しい波模様に魅せられてしまいました。それから蜂の巣コレクションを始め、さまざまな素材と巣を合体させた蜂との共同作品を作るようになりました。
「蜂が作る芸術品を見ていただこう」「悪者扱いされがちなスズメバチが実は人間社会に貢献している存在であることを知っていただこう」という思いから、平成7年に「蜂天国」を開設しました。スズメバチは、カメムシやコガネムシといった農家にとっての害虫を獲物にする益虫なのです。平成28年4月からは、より多くの地域の人に見ていただけるように入館料を無料にしました。毎年8月〜10月末には巣作りの風景をガラス越しに見ることもできます。

 

蜂は企業の手本なり3

蜂の魅力は勤勉さと巣の模様の美しさです。キイロスズメバチの寿命は20日〜1ヶ月と短く、雨が降っても風が吹いても働きます。どんなに巣が大きくなってもその勤勉さは変わらず、短時間のうちに精一杯働き、燃え尽きていく姿は「見事」というほかありません。小さな体で大きな仕事をする姿は企業の手本です。
会社は平成31年に創立50周年を迎えます。目標にしていた「100億円企業」を達成することもできました。これまで新規事業をするときには役員から「やめておけ」と言われたことが半分以上。それでも多少の反対を押し切れる頑固さも経営者には必要なのだと思います。いかなる困難に直面しても立てた目標は何が何でも成し遂げるのが私の信条。次は150億円を目標に、役員にはひとり一題の新規事業を立案するよう課しています。蜂のように真面目にやっていれば会社だって倒産しない。蜂は私の大先生です。