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(2019年2月1日)
たじま まさと 1945年佐久市生まれ 野沢北高等学校卒業後明治大学に進学 東京都内の大手都市銀行などに十数年勤務後、地元佐久にて行政書士事務所を開業 1999年より県行政書士会佐久支部長を4期8年務め、県理事や副会長県行政書士政治連盟会長などを歴任 タジマ総合事務所代表
様々な経験が貴重な糧に
終戦の年、4人兄弟の長男として生まれました。小中学生の頃は陰で堂々と悪さをして、教師から睨まれていた実質的「不良少年」。高校卒業後は「幅広い学習ができる」と大学商学部に進学。就職は多くの外国人のお客様も訪れる東京都内の大手都市銀行に決めました。 東京オリンピックを経て高度経済成長期。就職して初めての勤務地は日本の中心、銀座でした。入行後の研修もそこそこに、先輩に叱られながら仕事を覚えました。仕事にも慣れてきて、責任ある仕事を任されるようになる頃には転勤に次ぐ転勤。また新たな仕事を覚え、人間関係を構築していくという日々でした。今にして思うと、若くて感性が高い時に、様々な人と出会い、大変な経験をできたおかげで、他では得られないかけがえのない糧を得ることができたと感じています。
人とのつながりを大事にしたい
多年にわたり行政書士業務に精励し、制度の発展に貢献したとして、平成30年度総務大臣表彰を受賞
短い期間で新しい仕事を覚え、人間関係を構築していくことは、その度ごとに新鮮な気持ちで取り組むことはできましたが、次第に、信頼関係を築けた人と長く向き合っていきたいと思うように。組織の中の一人としてではなく、直接人の役に立つ仕事がしたいと、それまでの勤務経験を活かせる行政書士の資格を取得。精神的にも体力的にもまだまだ踏ん張りのきく40歳を迎える時期に転職を決めたことは、とても良い決断だったと思っています。 昭和62年7月、地元佐久で独立開業、経営者としての責任を感じました。地元とはいえ仕事の基盤は全くのゼロ。ベテラン行政書士のいる中、役所や顧客のところへこまめに足を運び、雑務も自分でこなすなど、行動力や機動力を武器に日夜奮闘。何もないところからのスタートでも、懸命にやっていると必ず応援してくれる人が出てきてくれるものですね。 行政書士業務は遺言・相続、離婚、外国人ビザ、営業許可など多種多様。地域の方と行政との懸け橋として行政書士一筋に30年余り。長年の功績を讃えられ、平成30年度総務大臣表彰を受賞しました。
平成時代を佐久市と共に
海外旅行で集めた海外の民族人形のコレクション
政書士という仕事を選んだのは直接人の役に立ちたいと常に考えていたから。そんな中で、平成17年の旧佐久市、臼田町、望月町、浅科村が合併した佐久市合併での、新佐久市合併協議会の委員に選任された時も、「地域の人のお役に立てるなら」と引き受けました。3年ほどの歳月をかけた合併協議会に臼田町の識見者として参加し、様々な意見を集約したり、反対する方々には納得していただけるように説得したりと、山積する日々の業務の傍ら活動しました。このときにも若い頃の勤務経験や行政書士の業務経験が活かされたと思います。平成22年に制定された新佐久市の市民憲章、シンボル制定審議会にも参加しました。 1日の仕事が無事に終わったときがほっとする瞬間。気心の知れた仲間と行く海外旅行や、異業種交流会で知り合った人たちと過ごす時間も自分にとってとても大切な時間。人とのつながりを大事にしながら、これからも健康に留意して、地域の方のお役に立てる仕事をしていきたいです。
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たじま まさと 1945年佐久市生まれ 野沢北高等学校卒業後明治大学に進学 東京都内の大手都市銀行などに十数年勤務後、地元佐久にて行政書士事務所を開業 1999年より県行政書士会佐久支部長を4期8年務め、県理事や副会長県行政書士政治連盟会長などを歴任 タジマ総合事務所代表
様々な経験が貴重な糧に
終戦の年、4人兄弟の長男として生まれました。小中学生の頃は陰で堂々と悪さをして、教師から睨まれていた実質的「不良少年」。高校卒業後は「幅広い学習ができる」と大学商学部に進学。就職は多くの外国人のお客様も訪れる東京都内の大手都市銀行に決めました。
東京オリンピックを経て高度経済成長期。就職して初めての勤務地は日本の中心、銀座でした。入行後の研修もそこそこに、先輩に叱られながら仕事を覚えました。仕事にも慣れてきて、責任ある仕事を任されるようになる頃には転勤に次ぐ転勤。また新たな仕事を覚え、人間関係を構築していくという日々でした。今にして思うと、若くて感性が高い時に、様々な人と出会い、大変な経験をできたおかげで、他では得られないかけがえのない糧を得ることができたと感じています。
人とのつながりを大事にしたい
多年にわたり行政書士業務に精励し、制度の発展に貢献したとして、平成30年度総務大臣表彰を受賞
短い期間で新しい仕事を覚え、人間関係を構築していくことは、その度ごとに新鮮な気持ちで取り組むことはできましたが、次第に、信頼関係を築けた人と長く向き合っていきたいと思うように。組織の中の一人としてではなく、直接人の役に立つ仕事がしたいと、それまでの勤務経験を活かせる行政書士の資格を取得。精神的にも体力的にもまだまだ踏ん張りのきく40歳を迎える時期に転職を決めたことは、とても良い決断だったと思っています。
昭和62年7月、地元佐久で独立開業、経営者としての責任を感じました。地元とはいえ仕事の基盤は全くのゼロ。ベテラン行政書士のいる中、役所や顧客のところへこまめに足を運び、雑務も自分でこなすなど、行動力や機動力を武器に日夜奮闘。何もないところからのスタートでも、懸命にやっていると必ず応援してくれる人が出てきてくれるものですね。
行政書士業務は遺言・相続、離婚、外国人ビザ、営業許可など多種多様。地域の方と行政との懸け橋として行政書士一筋に30年余り。長年の功績を讃えられ、平成30年度総務大臣表彰を受賞しました。
平成時代を佐久市と共に
海外旅行で集めた海外の民族人形のコレクション
政書士という仕事を選んだのは直接人の役に立ちたいと常に考えていたから。そんな中で、平成17年の旧佐久市、臼田町、望月町、浅科村が合併した佐久市合併での、新佐久市合併協議会の委員に選任された時も、「地域の人のお役に立てるなら」と引き受けました。3年ほどの歳月をかけた合併協議会に臼田町の識見者として参加し、様々な意見を集約したり、反対する方々には納得していただけるように説得したりと、山積する日々の業務の傍ら活動しました。このときにも若い頃の勤務経験や行政書士の業務経験が活かされたと思います。平成22年に制定された新佐久市の市民憲章、シンボル制定審議会にも参加しました。
1日の仕事が無事に終わったときがほっとする瞬間。気心の知れた仲間と行く海外旅行や、異業種交流会で知り合った人たちと過ごす時間も自分にとってとても大切な時間。人とのつながりを大事にしながら、これからも健康に留意して、地域の方のお役に立てる仕事をしていきたいです。