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アニメーション監督 新海 誠さん

新海誠さんアニメーション監督
新海 誠さん

1973年小海町生まれ 野沢北高、中央大学国文学科卒 「雲のむこう、約束の場所」で毎日映画コンクールアニメーション映画賞、「秒速5センチメートル」でアジアパシフィック映画祭最優秀アニメ賞等、多数の賞を受賞 11年に最新作「星を追う子ども」を公開

 

ふるさとがイマジネーションの原点

生まれてから18年間過ごした小海町は、今でも自分の原点です。特に高校3年間、片道40分かけて揺られた小海線の電車内は、当時好きな場所のひとつでした。朝は東側の席に座って登校し、帰りは西側の席から沈む夕日を眺めて帰ったものです。車内は放課後の延長のようなもの。友だちと騒いだり、試験勉強をしたり、ほかの学校の女の子を好きになったりもしました。他校の地元の友人たちと話すのも、通学時間の楽しみでした。
昨年公開した「星を追う子ども」では、小海町から多くのイメージをもらっています。主人公の女の子が鉱石ラジオを聴くシーンには、千曲川や両岸に広がる山々を背景に取り入れましたし、夕陽が沈んだあとに空がまだ青さを残しているという演出も、山に囲まれた南佐久地方の特色を使ったものです。見慣れた町も、実はとても印象的な場所だったのだと、離れてみて気付きました。

宇宙の物語に没頭した中高時代

絵を描くことは小さい頃から好きでしたが、家でスケッチする程度でした。高校時代は部活の弓道に夢中で、毎日稽古三昧でしたし。本を読むことは好きで、小学校時代はジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」やコナン・ドイルの「失われた世界」を夢中になって読んでいましたし、その後はアーサー・C・クラークやアイザック・アシモフなどSFの巨匠の作品を繰り返し読みました。もともと文系で、物理や数学は得意ではなかったのですが、宇宙的な物語は大好きだったのです。特にスティーヴン・ホーキングの「ホーキング宇宙を語る」は、何か大事なことが書いてあるような気がして高校時代いつも鞄に入れていました。

星を追う子ども一途な想いがやがてプロの道へ

本気でアニメーションで食べていこうと考え始めたのは、ずっと後のことです。大学卒業後は、学生時代にアルバイトをしていたゲーム会社にそのまま入社し、ゲームのオープニングムービーを作っていました。仕事をしながら、自分の映像を作りたいという思いはいつも抱えていた気がします。会社務めの傍ら、自主制作映像も何本か作りました。ただ、それが仕事になるとは思ってもいなかったのです。
それでも、思い切り映像づくりに打ち込みたいという欲求は抑えきれず、入社から5年後に仕事を辞めました。そして8か月かけて脚本から作画・編集・美術・演出まで、ほとんどひとりで作ったのが、25分間のアニメーション「ほしのこえ」。この作品で、様々な賞を頂き、ようやくアニメを仕事にする意識が芽生えたのです。実際、作っている最中は、貯金で食いつなぐだけの生活でしたし、これだけ完成させることができれば次の就職先を探そうと思っていましたから。
今では多くのスタッフに作品に協力して頂くことができ、本当に感謝しています。「星を追う子ども」には約200人が関わってくれました。制作中は、自分の中のイメージを形にするのに手間取ったり、物語を生み出すのに行き詰ったり、クリエイターとして四苦八苦しているのですが、スタッフとの飲み会はいい気分転換になっています。もともとお酒を飲むのは好きですので、それが物語の完成までねばれる原動力かもしれません。
趣味が仕事になってしまったので、趣味を聞かれると困るのですが(笑)、最近は仕事場の周りを散歩したり、ジョギングしたりもしています。東京はアスファルトばかりというイメージでしたが、都心には意外と大きな公園や緑が残っていて気持ちがいいですよ。