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軽井沢朗読館館長・朗読家 青木 裕子さん

青木裕子さん軽井沢朗読館館長・朗読家
青木 裕子さん

1950年福岡県生まれ 津田塾大学卒業後、1973年NHK入局 「スタジオ102」や「いとしのオールディーズ」などのキャスターを務めた後、1998年ラジオセンターに異動し、「ラジオ文芸館」を担当 2010年の定年退職を機に「軽井沢朗読館」を設立

 

若手キャスターを支えたひと言

生まれは福岡県。父の転勤で数年を関西で過ごしたほかは、大学進学まで北九州や博多で育ちました。子どもの頃に格別本が好きだった記憶はありませんが、今思えば、言葉への関心は高かった気がします。小学1、2年生の頃から、百人一首をお風呂の中で口ずさんでは、響きを楽しんでいるような子どもでしたから。学生時代は国際宗教学を専攻する一方、演劇部に所属。この時初めて、舞台で大きな声を出す気持ち良さを体験しました。
大学卒業後にアナウンサーとしてNHKに入りましたが、入局当初は緊張のし通しでした。台本を覚えられず、仕事もあまりなく、自分には適性がないと悩み続けていた毎日。それでも10年粘ってみようと腰を据えていたのが良かったのでしょう。実は就職活動時、連続して民放局の最終面接に落ちていた際に、ある面接官の方がこっそりこう言ってくださったのです。「君は育つのに10年かかる。うちでは即戦力でないと採用できないが、NHKならじっくり育ててくれるだろう」と。

リポーターとして、そして朗読家の道へ

次第に仕事に慣れ、放送局全体の動きが見えるようになったのは、言葉通り入局から10年を過ぎた頃。リポーターとして現場に出るようになり、自分から社会問題を提起できる面白さや充実感がわかってきたのです。差別の実態を見極めたくて、ハンセン病患者の方や精神科病棟に入院されている方への取材を続けたのもこの頃でした。患者の方々が初めて素顔、実名でテレビに出てくださった時のことは忘れられません。やりがいと共に、自分の仕事の責任、重さを噛みしめました。
40代後半の時にラジオセンターへ異動。小説や詩を朗読する番組「ラジオ文芸館」を担当したことが、ライフワークである「朗読」につながっています。当時は朗読といえば俳優や声優の仕事でしたが、逆にアナウンサーだからできる、読み手の個性ではなく作品世界そのものを引き出す読み方を心がけ、多くの作品を紹介してきました。樋口一葉、太宰治、林芙美子…。古今を問わず、優れた作家が綴る日本語には独特の美しさ、リズムがあります。特に宮沢賢治の作品は言葉そのものが音楽のよう。たくさんの人に、母国語の魅力に触れて楽しんでほしいという願いは退職後、多くの縁を得て、録音スタジオと専用のホールを備えた軽井沢朗読館というかたちになりました。

朗読会地元と共に歩む朗読館を目指して

千ヶ滝別荘地の奥、三方を国有林に囲まれた軽井沢朗読館は、別荘を兼ねた新しい職場です。冬期間以外の週末はほとんどここで過ごし、仲間たちと一緒に、朗読CDを制作したり、朗読コンサートを開いたりしています。昨年からは佐久がん哲学外来にも参加するようになりました。朗読をしたり、イベントの司会をしたり、微力ですが言葉を媒介にして、意義ある活動のお手伝いができることを嬉しく感じています。先日はNPO法人キャンサーリボンズと共同で、がん患者の方とご家族へのメッセージを込めた朗読CDを制作。医学博士や画家、作家など各界の人たちが練りに練ったメッセージを読み、文章の力というのはすごいものだと実感しました。
軽井沢朗読館は今年でようやく3度目の夏を迎えます。今は地固めの時期。地元の人たちと共に、自分が何をしていくか見極め、動いていきたいと思っています。それにしても人生の後半から佐久、軽井沢という土地に深く関わるようになるとは。東京で働いている時には全く想像していなかったのに、今では365日、まるで小さな子どもを育てるように朗読館のことばかり考えているんですよ。