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佐久医師会会長 金澤 秀典さん

金澤 秀典さん佐久医師会会長
金澤 秀典さん

1950年佐久市岩村田生まれ 76年日本医科大学卒業後、第三内科に入局 88年同大兼任講師、医療法人三世会金澤病院副院長 99年金澤病院院長 長野県医師会理事、佐久医師会副会長を経て、2012年佐久医師会会長就任

 

歴史ある医家の5代目として

実家は江戸時代まで遡る医者の家系。長崎へ遊学した初代・金澤宗伯が、嘉永年間に天領であった小諸市御影で陣屋典医として働いていたという記録が残っています。明治時代には二代目が診療所を佐久市岩村田に移し、昭和初期に祖父に当たる三代目が金澤医院を設立。四代目の金澤俊之が現在の医療法人三世会金澤病院の基礎を築きました。外来の待合室にかけてある「医学館」の書は、初代が京都の公卿・神祇伯白川資訓王から拝領したものです。旅の途中で偽の勅使に疑われた資訓王を初代がかくまい、後に御礼として送られてきたものだそうです。
ゴルフ父も祖父も医師でしたから、学生時代はごく自然にその道を目指していました。プレッシャーがあったかとよく聞かれますが、受験競争も今ほど厳しくない時代でしたので、それほど学業に追い詰められた記憶はありません。地元の小学校を卒業してからは、先に上京していた兄や後から来た弟と一緒に、東京・杉並の叔父の家に住み込み、都内の中学校、高校に進みました。バンカラな校風も手伝って、兄弟3人でのびのびと都会の空気を楽しんでいた覚えがあります。

医療を待つ人に応えるために

日本医科大学では消化器内科の医局に所属。最先端の肝臓治療の研究などに力を注いできました。国内でもわずかな大学でしか行われていない「TIPS」という肝硬変の特殊な治療法について1990年代に研究チームを立ち上げ、今では「この治療法なら日本医科大学」と言われるようになっています。
一方で、同時期に家業を継ぐために帰郷。大学の兼任講師として週2日東京に出かけつつ、佐久では金澤病院で診療や病院の経営に尽力する毎日が現在まで続いています。ちょうど中小病院の経営が厳しくなってきた時代であり、一時期は手術室をつくったり入院病床を増やしたりと試行錯誤もしましたが、現在では当院は「地域の大きなかかりつけ医」だと考え、内科系を主体とする方向性の変更をしています。最近、1ベッド当たりの広さをできるだけ広くし、バスルームを増設するなど、心地よく入院生活が送れるようなリニューアルを施しました。療養病床を拡充し、慢性的な疾患をもつ患者さんやひとり暮らしで頑張っている高齢の方たちが、いざという時に安心して入院できるよう対応しています。

佐久医師会情報を共有し啓蒙に努める

佐久医師会では、「全員参加」「地域の医療を守る」「市民に目を向ける」という方針が打ち出されています。医師会長としては、現在21ある委員会を活性化させ、若い会員の人たちが活発に意見を言い合える場にすることが目標です。現在は理事会や委員会での討論が、会員や市民の方に充分フィードバックされていない感がありますが、ホームページやメディアを活用すれば、情報をもっと共有できるはずです。市民の方にも、医療のことで一寸迷ったり困ったりした時に、医師会のホームページを覗いてみてと言えるようにしたいと考えています。
また、地域の医療を維持していくためには、患者さんの声を聞くと共に、医療従事者側が困っている問題についてもこれからは声を上げていかねばなりません。今、なぜ医師が不足しているのか、なぜ保険制度が破たん寸前なのか等々、こうした大きな問題を共に考えることはとても大切なことだと思います。