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岩村田寺子屋塾長 細川 保英さん

細川 保英さん●岩村田寺子屋塾長
細川 保英さん

1955年岐阜県生まれ 1977年法政大学法学部卒 メーカーに勤務後、1982年より大阪で進学塾を展開 塾運営に携わる中で1992年岩村田へ進出 2009年岩村田本町商店街に商店街直営の岩村田寺子屋塾を開講 岩村田本町商店街振興組合理事

 

全国初、商店街直営の塾 岩村田本町商店街に

「商店街直営の塾」を、という構想が生まれたのは2006年。「商店街で学びの場を用意したいんだよね」という、阿部眞一理事長との出会いがきっかけでした。進学塾での偏差値に頼りがちな指導より「教育には地域の力が必要」と感じ始めていた私の教育への思いと、商店街の子育て支援の思いがぴ小学生から高校生まで学年を越えた交流が生まれますったり重なった瞬間でした。 佐久もこの10年余りで子どもを取りまく環境は様変わり。打たれ弱い子も、子育てに不安な親も増えました。だからこそ、昔のように、地域が子育てに積極的に関わる事が大切。塾を商店街で運営するのは全国で初めての試みでしたが、「地域ぐるみの教育の場」としては最高の環境だと確信しました。 足かけ3年、空き店舗を改装してオープン。学年の違う子どもたちが肩を並べて座卓に座り、個人ごとに独自のメニューで自立学習に取り組む、昔の「寺子屋」のようなスタイルをめざしました。

 

常にチャレンジ精神を持って

出身は岐阜県大垣市。小学生時代は、年齢の違う子どもたちが集まって遊び、集団生活を学ぶということが当たり前の環境でした。中学校時代、剣道部に入って先輩後輩のルールを叩き込まれたのも人間関係を学ぶいい機会だったと思います。もともと人を引っ張ることが好きで、「新しいことをやりたい」というベンチャー精神は常にありました。20代の時、大学時代の先輩と2人で進学塾の経営に携わったのも、その気持ちから。大阪からスタートさせた塾は全国的に広がり、1992年に岩村田に教室を開いたことが、初めて佐久を訪れるきっかけとなりました。当時は子どもたちが地元の言葉で話しかけてくれたのが新鮮で、都会の子どもとは違う純粋さを感じたのを覚えています。

 

全国初の商店街が運営する通信制高校サポート校開校地域で子どもを育てる時代

寺子屋塾のポリシーは「大切にします、小さなガッツポーズ」。子どもたちの能力はそれぞれ違いますが、大切なのはどれだけ努力し、「できた!」という自信をつけるか。その積み重ねが力になり、子どもを成長させます。その方針で指導を続け、今では学年を越えた交流も生まれて、昔の寺子屋の学びに近づいてきました。4月には同じ場所で、鹿島学園広域・通信制課程(本部:茨城県)のサポート校として、鹿島学園 佐久キャンパスも開校します。学力があるのにさまざまな事情で学校に通えない子どもたちが増える中、商店街全体でその受け皿となることが目的のひとつ。商店街だからこそ、店舗での就業体験やイベントの企画運営を通じて、大人や地域と交わり、社会性を身につけるという総合学習的なサポートも可能です。グラウンドも体育館もないキャンパスですが、厳しい社会を生き抜いている先生は商店街に何百人もいるのです。 今は、子どもたちの成長に関わるのが楽しくて仕方がありません。寺子屋塾の運営と並行して、地域コミュニティの活性化のお手伝いもしています。その中で、商店街の子育て支援事業にも色々な形で取り組んでいますが、それは「子どもたちに、自分達のまちの伝統や文化のすばらしさをしっかり学んで、次世代に伝えてもらいたい」という思いがあるからです。子どもたちには自分の地域のすばらしさをもっと知ってもらい、社会を生き抜くために必要な学力(色々な物事から学び取る力)を身につけて、成長してもらいたいと思います。この「地域の力を大切にした、新しい教育のあり方」を佐久から全国に発信していきたいですね。