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軽井沢エフエム 名誉会長 佐藤 泰春さん

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●軽井沢エフエム 名誉会長
佐藤 泰春さん

さとう やすはる 1934年愛知県名古屋市生まれ立教大学経済学部卒業、米国コーネル大学ホテル学部修了 1965年万平ホテル入社後、社長、会長、顧問を歴任 2001年軽井沢エフエム創業 2008年旭日小綬章受賞

 

幼い頃から目は海外へ

万平ホテル創業者の佐藤万平が曾祖父。よく四代目と呼ばれますが直系ではなく、本家筋の従兄弟の代わりを請け負ったようなものです。それでも父が名古屋万平ホテルの支配人を務めるなど、生まれた時からホテルの空気を吸って育ち、軽井沢でも異国文化を肌で感じてきたので、ホテル業界に入るのは自分にとってとても自然なことでした。
軽井沢に住んだのは国民学校(小学)4年生の時。東京大空襲で住む家を無くし、旧軽井沢の古い別荘に疎開したのです。当時、万平ホテルがドイツやロシアの人々を収容する施設だったこともあり、外国の人と交流する機会は戦時中とはいえ、決して少なくありませんでした。また、戦後は軽井沢の西洋人向き施設が米軍に接収され、町中に英語が飛び交う環境に。けれども米軍将校をはじめ誰もがとても親切で、子ども心に「こういう人たちと戦ったのは間違いだった」「もっと世界に目を向けるべきだ」と思ったものです。

 

 

アメリカでの桁違いの体験

大学は、当時唯一ホテル経営講座があった立教大学経済学部へ。卒業した後は、ニューヨーク州のコーネル大学ホテル学部で2年間、さらに経営や実務を学びました。3ヶ月もある夏休みの間は、自ら頼み込んでウェストバージニア州のホテルで研修アルバイト。ホテルと言っても、鉄道や飛行場、ゴルフ場がすべて敷地内にあるという桁違いの規模

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で、ここでは研修生のために座学の講義まで行なってくれました。
業務のバリエーションも多く、その中で選んだのは料理部門。ホスピタリティは日本で学べるし、ここの人たちがどんなものを食べているか興味深かったからです。ちなみにウェストバージニア州では禁酒法がまだ残っていた時代。週末には、世界各地から集まった学生同士で隣のバージニア州に出向き、どんちゃん騒ぎをしたものです。楽しかったですよ(笑)。

 

軽井沢の歴史を伝えたい

帰国後、ビザを再取得してまた米国へ行くつもりでしたが、父が急逝したため、急きょ万平ホテルへ入社。45年間ホテル業務に携わってきました。多くの人々と知り合いになれたことが私の財産です。13年前、軽井沢エフエムを立ち上げたのは、「軽井沢のすべてをここ(旧軽井沢)から発信したい」という考えから。宣教師のA・C・sabu02ショーから始まる避暑地の歴史は、若い世代にはあまり知られていないようですが、先人がさまざまな努力をして紡いできた百数十年の歴史を、観光客にも、地元の人にも、放送を通してもっと知ってもらいたいと思います。現在は妻と2人、嬬恋の自宅で25頭の犬たちと暮らしています。この大家族はほとんど旧軽井沢に暮らしていた頃、家の近くに捨てられていた子たち。多い時には40頭もいて、さすがに別荘地では飼えなくなったので、10年ほど前に3000坪の敷地を購入し、引っ越したのです。休日はもっぱら彼らと遊ぶのが日課。庭で放し飼いにしていますが、皆、喧嘩をしたことはありません。捨てられたもの同士、思いやっているのかもしれませんね。