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モーグルスキーヤー 小林 樹生さん

ss_01「樹生もモーグルやらないか」

 スキーを始めたのは3歳の時。そのシーズンに、調子に乗って右足を骨折しましたが、ギプスがとれるとまたすぐに滑り始めました。

モーグルを始めたきっかけは、憧れのモーグル選手・西伸幸選手のお父さんにモーグルの楽しさを教えてもらったからでした。「樹生もモーグルやらないか」と声をかけられた時は、モーグルは好きでしたが、競技としてやることには不安がありました。しかし、今まで本気で打ち込んだスポーツがなかったので、やってみたい気持ちが上回り、競技として挑戦してみることにしました。それからは毎週末、白馬へ通う生活が始まりました。今振り返ると「佐久から白馬まで毎週送り迎えをしてくれた母親は大変だったろうな」と頭が下がります。

 

 

大会に勝つ喜びとプレッシャー

 初めて国内大会に参加したのは小学6年生の時。自分の中では良い成績を出せる自信があったのですが、結果は惨敗。緊張で本来の力が発揮できず、悔しくて泣いたのを覚えています。

中学生の時には、練習中に転倒して脳しんとうを起こし、鎖骨も骨折。同じ年代の仲間たちが結果を残すようになると、プレッシャーばかりが大きくなりました。そして中学3年生の時、「ここで勝てなければモーグルをやめよう」と決意して大会へ。結果は優勝。大きな自信となり一気にレベルアップしました。

高校1年生で順当に結果を出し、2年生からナショナルチーム ジュニア、3年生からは念願のナショナルチーム(W杯組)入りとなりました。しかし世界の舞台は甘くなく、それぞれが国を代表して出場するだけあって、“メンタル・技術力”などどれをとっても強く、自分自身が良いと思う滑りをしても成績が伴いませんでした。そこから考え方と意識を徐々に変えていきました。

 

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悔しさと怒りをバネに

 20歳。この年はモーグル人生において最も過酷な年になりました。体調不良から全日本選手権を欠場したことが原因で、ナショナルチームを外れたからです。外れたことによりスポンサーやコーチ、仲間の、自分に対する態度が変わるのも感じました。その悔しさや怒りはいつしか原動力となり、無我夢中で練習に打ち込む日々。12月の遠征でソチ五輪に出場できるチャンスもあったのですが、逃しました。

2014年の全日本選手権には、前回の無念をはらすべく挑みました。1日目のシングルでは4位に終わり、悔しい思いをしましたが、手応えを感じました。そして、2日目のデュアルモーグル決勝の相手は、モーグルを始めたきっかけにもなった西伸幸選手。結果は優勝。ナショナルチームを外れたことで、いろいろなことに気づきました。物事に冷静に対処できるようにもなり、メンタル面も鍛えられ、このシーズンは大きく成長できた年でした。

これからの目標は一つひとつ目の前の課題をこなしていくこと。その先に何があるかはまだ分かりません。練習とアルバイトの日々ですがボルダリングやサーフィンをやってみたいと思うことも。尊敬するイチロー選手の本を開き日々参考にしています。