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信州の名工(時計組立・修理工)矢嶋 英一さん

矢嶋 英一さん信州の名工(時計組立・修理工)
矢嶋 英一さん

1948年11月小諸市市町生まれ 坂の上小、芦原中、小諸商業高校卒業後、ヤジマ時計店の5代目として父親の敏夫さんに時計修理を師事する 2010年長野県卓越技能者知事表彰(信州の名工) 国家一級時計修理技能士、信州匠の時計修理士2級

 

祖父や父から受け継いだ技術

家業は小諸・北国街道沿いで明治時代から続く時計店。その5代目として、生まれた時から時計に囲まれて育ち、小学時代には既に壊れた時計を分解して遊んでいるような子どもでした。物心ついた頃から「将来は時計修理をやる」と決めていたので、家を継ぐことに抵抗はありませんでした。むしろ早いうちから家の手伝いをしたくて、高校1年の時に父親から修理の技術を学び始めたほどでした。入った部活もすぐに辞め、できる限り父親の仕事場で過ごしました。父親は時計の部品なら何でも作れたほど、手先の器用さにかけて天才的な人。「自分で失敗しなければ仕事は覚えない」と言って、具体的な技術は聞くまで何も教えてくれませんでしたが、基本的にはとても優しい師匠でした。
時計修理の世界では「大物」と呼ばれる掛け時計から修業を始め、技術を高めて、細かな腕時計の修理を手掛けるようになりました。20歳の時に、初めて父から「これをやってみろ」と腕時計を渡されたことは今でも忘れられません。婦人用の本当に小さな時計で、緊張しながら部品を見つめていたのを覚えています。まだ独身の頃でしたが、修理を終えてお客様に渡した時は、なんだか娘を嫁に出すような気持ちになったものです。

いっそうの高みを目指して

以前は店の一角で作業していましたが、現在は自宅の押入れを改装し、修理工房にしています。昼は店の対応があるので、夜9時から夜中2時頃まで、遅い時は明け方5時頃までここで修理をしています。翌朝9時に店を開けるので、体力的にはかなりきついですが、1番集中できる時間帯になっています。時計の故障は人間の病気と同じで、原因も症状も数限りなく、あらゆる状況を考えなくてはなりません。個人店はメーカーなどと違い、外装の研磨や部品作りのための鉄の焼き入れ、焼き戻し、青焼きなども一人でこなさなければなりません。毎日試行錯誤の連続で、寝ていても修理のことが頭から離れないことがしばしばですが、苦労すればするほど仕上げた時の快感は大きいです。
この仕事は「20年やって一人前」と言われていますが、修業は一生続くと思っています。時計修理に携わり今年で46年ですが、まだまだ高い技術を目指しています。長野県は世界トップレベルの修理工が大勢いるので、環境にも恵まれています。長野県の時計修理技能士の試験は国家資格の試験より難しいと言われるほどレベルが高いのです。現在、松本の専門学校で講師として教える機会もあり、若い世代に技術をつなげる大切さも感じています。

矢嶋 英一さん小修理の合間に、こんなことあんなこと

趣味はゴルフとお茶。ゴルフは町内の仲間とワイワイ話すことが目的です。以前から興味のあった茶道は、2年前、60歳になったのをきっかけに表千家に入門しました。時計修理の時とはまた違った緊張感があり、ピンと引き締まった非日常的な空気が気持ちいいのです。着物を着るのもいいですね。旅行も好きで、年に何回か家族や仲間と国内旅行を楽しんでいます。昨年は、弟子と2人で京都に出かけました。彼は高校生の頃から店に入り浸り、マニアックなことも知っているので、道中面白い話がたくさん聞けました。
時間がある時は畑に出かけて、もくもくと雑草を抜いています。野菜を作っているわけではなく草取り専用の畑なのです(笑)。仕事中は脳内が緊張し通しなので、何も考えずに手を動かす草取りは、最高の趣味といっていいかもしれません。町内の花壇も、草を見つけるたびに抜いているので、町内美化にかなり貢献していると思います(笑)。