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佐久演奏家協会会長 原 いづみさん

人見知り克服のため教室へsnb02

小さい頃はすごく人見知りが激しくて、いつも祖母や母の影に隠れ、人に会うと泣き出してしまい、幼稚園にも通えないほどでした。これでは小学校に上がっても困るだろうと、見兼ねた祖母が「人前に出ることに慣れるように」と、近所のオルガン教室に私を引っ張っていきました。「行きたくない」と泣いて泣いて見学をしたのが、音楽との出会いです。自分から習いたいという気持ちはなく、音楽に触れるのも初めてでしたが、音の聞き分けができ、覚えも早かったので、「この子には音楽が合っている」と祖母は思ったようです。

教えてくれた先生方が次々に良い先生を紹介してくださり、小学校高学年の頃にはひとりで電車に乗って東京の先生の元へピアノのお稽古に通うようになりました。引っ込み思案だった私がいつのまにか生徒会の役員を引き受け、人前で意見を発表することが平気になり、祖母の意図したように積極的な性格になっていったのは、ピアノのお陰だと思います。

 

ピアノは身体の一部

父は私が1歳の頃に病気で亡くなり、働く母に代わり、祖母に育てられました。母がひとりで働くのを見ていたので、高校2年で進路を決めるとき、一度はピアノをやめようと思いました。自立して食べていけるような職業に就こうと考えたのです。練習も辛かったですからね。でもいざ弾くのをやめたら、何をしても身が入らず、心にぽっかりと穴が空いたような生活でした。ピアノの前に座ると落ち着いて、自分らしさを取り戻せるのです。ピアノが身体の一部になり、生活の一部になっていることを感じ、苦労してでも好きなことに関わって暮らしていこうと決心しました。

音大卒業後は長野県の音楽専科教諭として5年勤務した後、音楽活動に入りました。結婚し、子どもを2人産み育てながらも続けてこられたのは、夫や母の協力、理解があったからだと感謝しています。

 

佐久地域の音楽文化を上げたい

snb0110年前、佐久地域の音楽文化を盛り上げていこうと、演奏家仲間数名で「佐久演奏家協会」を立ち上げました。敷居を高くせず、楽しめるコンサートを開催しています。佐久が故郷の人もそうでない人も、賛同してくれる演奏家が年々増え、現在会員は110名以上に。ピアノの生徒として私が育てた子も演奏家として活躍しています。私がジョイント役になり演奏家同士の繋がりを広げながら活動を軌道に乗せ、地元出身の若い演奏家に引き継ぎたいと思っています。

佐久市の文化事業にも協力しており、昨年は高齢者大学の芸術鑑賞講座を担当しました。「演歌は好きだけどクラシックはだめなんだよね」とおっしゃる方に、左手でショパン、右手で演歌を弾いてピッタリ合うのを聞いていただき、「クラシックも演歌も音楽には何の垣根もないんです」とお伝えしたら、みなさんとても感激して、その後のコンサートにたくさん来てくださいました。私たちの音楽を聞くことで「クラシックって楽しい」と感じてもらい、次のコンサートに足を運ぶきっかけになればという思いで活動しています。音楽への入口を広げることも私たちの役目ですから。

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