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(2011年7月31日)
NPO法人そまびとクラブ理事長工藤 孝一さん1965年愛知県豊橋市生まれ 地元高校、千葉県の専門学校を卒業後、都内の中古車販売会社や電子部品工場などに勤務 1991年軽井沢に移住し、98年から佐久森林組合の技術職員 2001年退職後、信州そまびとクラブを立ち上げる 長野県指導林業士
NPO法人として「信州そまびとクラブ」を立ち上げたのは10年ほど前。当時、佐久周辺の森林組合に勤めていた数名のIターン者が集まって、もっと林業の現場をよくしたいと話をしたのが始まりです。自分が山で働く気持ちよさを知っていたから、それを多くの人にフィードバックしたいという思いとともに、都心に住んでいる人やIターンの人で「森や山と関わりたいけれど何から始めればいいかわからない」という人を森と結び付け、林業をもっと生き生きさせたかったのです。今では、東京から来てくれる「森ギャル」をはじめ、老若男女入り混じった多くの森林ボランティアが、地ごしらえから植林、間伐などの森づくりに参加してくれています。初めて山に来た人、チェーンソーを使ったことがない人も大勢いますが、会員のサポート体制も整い、技術的なことはしっかり伝えていけるようになりました。リピーターや地元からの参加者が少しずつ増えているのもうれしいですね。
昨年から県の指導林業士を務めていますが、最初から山の仕事をしていたわけではありません。小さい頃から工作や機械いじりが好きだったこともあって、専門学校では航空機体の整備を専攻。その後は都内や千葉県内の中古車販売や電子部品のメーカーなどに勤めていましたから、むしろまったくの素人でした。東京から軽井沢に越したのが25歳の時。仕事自体は嫌いではなかったのですが、あまりに大勢の人や車に囲まれて、ストレスがたまってしまったのです。それが軽井沢では、ただ暮らしているだけで気持ちが落ち着いたり元気が出たりしますし、通勤も満員電車に揺られるのと、1000メートル林道を走るのでは、まったく違いますよね。漠然とした思いで決めたIターンでしたが、ここに来て本当によかったと思いました。しばらく会社務めを続けるうちに、「山の中で働けたらもっと気持ちいいんじゃないか」と思うようになり、そんな時たまたま出会ったのが森林組合という職場でした。ただ、当時の組合には、後継者を育てるという意識や土壌がありませんでした。現場で何をしたらいいかということも、見て覚えるしかない状態だったので、自分が指導する立場となった今は、できるだけ理論立てて伝えるように心がけています。
結婚して専業農家に入ったので、昨年からは本腰を入れて、家業のカーネーション栽培に取り組んでいます。農作物の相手は、森の木と違って日々リアルタイムで作業しないといけないのが大変です。森林整備はもっぱら会員任せで、イベントや研修会に顔を出すくらいになりました。それでも人の結びつきが森を育てていることを実感できるので、地元の行事や地域の会合などには積極的に参加するようにしています。地元の小学校では、子どもが在学していた5年前から父親同士でつくる「親芋の会」で、学校でのキャンプを主催しています。夏休みに体育館で寝泊まりするのですが、自分の生活を見直すいい機会になると思います。今年は特にエネルギーについて考えたくて、林業の現場からいろいろな仕掛けを用意しました。丸太1本を切り出して運ぶのに、どれだけ大きなエネルギーが必要かということを実際に丸太を切ったり、持ち上げたりする遊びを通して、子どもたちに実感してもらえたらと思っています。
月刊ぷらざ編集部(株式会社信州広告社)
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工藤 孝一さん
1965年愛知県豊橋市生まれ 地元高校、千葉県の専門学校を卒業後、都内の中古車販売会社や電子部品工場などに勤務 1991年軽井沢に移住し、98年から佐久森林組合の技術職員 2001年退職後、信州そまびとクラブを立ち上げる 長野県指導林業士
人と森とを結び付けるために
NPO法人として「信州そまびとクラブ」を立ち上げたのは10年ほど前。当時、佐久周辺の森林組合に勤めていた数名のIターン者が集まって、もっと林業の現場をよくしたいと話をしたのが始まりです。自分が山で働く気持ちよさを知っていたから、それを多くの人にフィードバックしたいという思いとともに、都心に住んでいる人やIターンの人で「森や山と関わりたいけれど何から始めればいいかわからない」という人を森と結び付け、林業をもっと生き生きさせたかったのです。
今では、東京から来てくれる「森ギャル」をはじめ、老若男女入り混じった多くの森林ボランティアが、地ごしらえから植林、間伐などの森づくりに参加してくれています。初めて山に来た人、チェーンソーを使ったことがない人も大勢いますが、会員のサポート体制も整い、技術的なことはしっかり伝えていけるようになりました。リピーターや地元からの参加者が少しずつ増えているのもうれしいですね。
街の会社から山の仕事場へ
昨年から県の指導林業士を務めていますが、最初から山の仕事をしていたわけではありません。小さい頃から工作や機械いじりが好きだったこともあって、専門学校では航空機体の整備を専攻。その後は都内や千葉県内の中古車販売や電子部品のメーカーなどに勤めていましたから、むしろまったくの素人でした。
東京から軽井沢に越したのが25歳の時。仕事自体は嫌いではなかったのですが、あまりに大勢の人や車に囲まれて、ストレスがたまってしまったのです。それが軽井沢では、ただ暮らしているだけで気持ちが落ち着いたり元気が出たりしますし、通勤も満員電車に揺られるのと、1000メートル林道を走るのでは、まったく違いますよね。漠然とした思いで決めたIターンでしたが、ここに来て本当によかったと思いました。
しばらく会社務めを続けるうちに、「山の中で働けたらもっと気持ちいいんじゃないか」と思うようになり、そんな時たまたま出会ったのが森林組合という職場でした。ただ、当時の組合には、後継者を育てるという意識や土壌がありませんでした。現場で何をしたらいいかということも、見て覚えるしかない状態だったので、自分が指導する立場となった今は、できるだけ理論立てて伝えるように心がけています。
結婚して専業農家に入ったので、昨年からは本腰を入れて、家業のカーネーション栽培に取り組んでいます。農作物の相手は、森の木と違って日々リアルタイムで作業しないといけないのが大変です。森林整備はもっぱら会員任せで、イベントや研修会に顔を出すくらいになりました。それでも人の結びつきが森を育てていることを実感できるので、地元の行事や地域の会合などには積極的に参加するようにしています。
地元の小学校では、子どもが在学していた5年前から父親同士でつくる「親芋の会」で、学校でのキャンプを主催しています。夏休みに体育館で寝泊まりするのですが、自分の生活を見直すいい機会になると思います。今年は特にエネルギーについて考えたくて、林業の現場からいろいろな仕掛けを用意しました。丸太1本を切り出して運ぶのに、どれだけ大きなエネルギーが必要かということを実際に丸太を切ったり、持ち上げたりする遊びを通して、子どもたちに実感してもらえたらと思っています。