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平成28年度救急功労者表彰 総務大臣表彰受賞 岡田 邦彦さん

sin01おかだ くにひこ 1960年愛媛県新居浜市生まれ 1985年徳島大学医学部卒業後、佐久総合病院にて外科医として勤務 1992年救命救急センター配属、2014年より同センター長 救急隊員、救急救命士に対する各種講習の講師を務める 2016年救急功労者表彰 総務大臣表彰を受賞

 

四国から、佐久へ

生まれは愛媛県新居浜市。スポーツ好きな少年で、中学時代は陸上やバスケットボールに夢中でした。医者を志したのは、幼い頃に読んだシュバイツァー博士の伝記がきっかけです。小学校へ上がる少し前だったと思いますが、その頃から将来は医学部へ進もうと決めていました。普通のサラリーマン家庭で育ったのですが…。生まれも育ちも四国で、進学した大学も四国だったため、大学卒業を機に四国から出ようと思いました。当時は大学に残ることが主流でしたが、自分と同じく四国から出ようとしている数名の友人と共に、研修医制度が整っている病院をいくつか巡りました。その中の一つが佐久総合病院でした。その頃の自分が佐久総合病院について知っていることといえば、野球が強いことくらいでしたが、最初に合格通知をいただいた縁で、研修医として勤務することになりました。小淵沢から小海線に乗り、初めて臼田駅に降りた時は、「こんなところに病院があるのか」と驚いたのを良く覚えています。

 

数々の災害現場を経験

 外科を数年経験し、「外傷を診たい」という思いから、救命救急へ移りました。当時の災害医療や救急医療は今ほど注目されておらず、試行錯誤の日々でした。印象的な出来事といえば、1995年に発生した「阪神淡路大震災」。現地で救命医療に関わった最初の案件です。混乱の中で、病院やボランティア、地区の区長さんらが協力して、それぞれに果たすべき役割があることを学び、正しい情報や普段からの訓練がいかに重要であるかを実感しました。その後、2004年「新潟県中越地震」、2007年「新潟県中越沖地震」では現地入りして活動、2011年「東日本大震災」では後方部隊として病院に残り、現地入りした医師から連絡を受けて指示を出す活動をしました。2014年の「御嶽山噴火」では、当日に現地入りし、ロープウェイの麓に一晩泊まり下山者への対応を行いました。今年1月の「軽井沢スキーバス転落事故」では、現地入りしたスタッフから報告を受け、病院内で指揮をとる対応を行いました。

 

受賞を自信に、次へつなげて

 救命救急センター長としての毎日は多忙で、一般診療における救命対応のほか、災害派遣医療チーム(DMAT)の活動、県や医師会を含めた救急体制の枠組み作りなどにも取り組んでいます。今回、思わぬ賞を受賞し、一番驚いているのは自分自身。今まで救急隊と共に歩んできたことが間違っていなかったのだなと受け止め、素直に嬉しいです。今後は県全体の救急レベルを向上できるよう、さらに励んでいきたいです。

救急を専門としている医師は、まだまだ少ないのが現状です。最近は専門医が増えていますが、各専門分野の垣根を越え、本当に困った人たちに対応する役割が救急に求められています。救急に限らず、医療は人を相手にする仕事ですから、これから医療を目指す方たちには、人とのコミュニケーション能力が大事であることを伝えたいです。その上で、良く学んで欲しいです。

趣味は走ること。毎日の通勤も片道1時間ほどを走ってきています。走ることで気持ちをリセットし、気分転換をしています。

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