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(2011年8月31日)
落語家・佐久市コスモホール館長立川 談慶さん
1965年上田市(旧丸子町)生まれ 1988年慶応義塾大学経済学部卒業、㈱ワコール入社 1991年同社退職、立川談志に入門、前座名ワコール 2000年二つ目昇進、談志の命名で「談慶」に改名 2006年真打昇進 2010年4月より佐久市コスモホール他館長を務める
師匠である立川談志のことを初めて知ったのは中学3年の時。テレビで師匠が話しているのを聞いて「すごい人だ」と衝撃を受けたのです。「新聞で正しいのは日付だけだ」なんて平気で言っていたのですから。落語についてはまったく知りませんでしたが「この人の傍で影響を受けたい」と思ってしまったのです。それからすぐに落語家を目指したわけではないのですが、師匠が書いた「現代落語論」を読んだり、大学の落語研究会に入ったりしたのは、その時の思いが後を引いていたからなのでしょう。サラリーマンになってからは、落語立川流のCコースに入門しました。立川流には正式入門のAコースから素人さんに落語を教えるCコースまであります。Cコースはいわば演者とファンが直接話をできる場所。ここでは師匠も優しいので、師匠を「いい人だなあ」と思ってしまう…(笑)。しかし、Aコースに入門して弟子になると、徒弟制度の一番下っ端についたわけですから、それはそれは厳しかったです。
正式入門してからは、鞄持ちをしている時に師匠だけに気をとられ「周りが見えていない」と怒鳴られ、道路を渡ろうと手を挙げて車を止めると「なんで人様に迷惑をかけるんだ」と叱られました。ほかの人に気を使わせないように心掛けながら、かつ師匠に尽くすという器用さが必要でした。もともとドジなところがあったので「やめちまえ」「消えろ」なんて言われるのもしょっちゅうでした。立川流で「二つ目」になるには、古典落語50本・踊り・唄・講釈を覚えて、師匠の基準をクリアしないといけないのですが、この中の唄では特に苦労しました。後から考えれば、噺の中で唄う鼻唄ができればよかったのですが、ばか正直なものですから、正調なんとか流と看板を掲げている稽古場まで習いに行ったのです。この時のことは今でも「お前は遠回りしたなあ」と笑われますが、これも今では、実になっていると思います。高座でも、「THE CONVOY SHOW」のジュリさんと続けている「だんじゅり祭り」でも、幅の広い芸ができるようになったのは、この時のお陰ではないでしょうか。師匠は本の中で「落語とは人間の業の肯定である」と言っています。人間のみっともない部分を凝縮して、笑い飛ばすのが落語。10年も前座修業を続けましたが、「これをやりとげれば落語ができる」と踏ん張ってきたのを、今、笑って話せるのが嬉しいですね。
柳田佐久市長から電話をいただいたのをきっかけに、昨年からコスモホールや佐久市交流文化館浅科の館長を務めています。収容人数800名のホールに有名人を呼ぶのはなかなか難しいことですが、地元の発表会や講演会などを充実させて、「文化の地産地消」に取り組んでいきたいです。今年の夏休みには現役高校生バンドのライブを行いました。今は都会と田舎で、レベルにもセンスにも差はないですから、これをきっかけに武道館を目指し、一流のプロに見てもらって打ちのめされて、それでも「負けねえぞ」ってさらに上を目指す子どもたちが増えれば最高だと思います。昨年から始めたワンコイン寄席では、興業の後に小学1年生の子どもから「落語を覚えたい」という声が上がりました。そのうち全県の小学生を集めた豆落語会なんかができるようになるのが楽しみです。
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立川 談慶さん
1965年上田市(旧丸子町)生まれ 1988年慶応義塾大学経済学部卒業、㈱ワコール入社 1991年同社退職、立川談志に入門、前座名ワコール 2000年二つ目昇進、談志の命名で「談慶」に改名 2006年真打昇進 2010年4月より佐久市コスモホール他館長を務める
立川談志に憧れて
師匠である立川談志のことを初めて知ったのは中学3年の時。テレビで師匠が話しているのを聞いて「すごい人だ」と衝撃を受けたのです。「新聞で正しいのは日付だけだ」なんて平気で言っていたのですから。落語についてはまったく知りませんでしたが「この人の傍で影響を受けたい」と思ってしまったのです。
それからすぐに落語家を目指したわけではないのですが、師匠が書いた「現代落語論」を読んだり、大学の落語研究会に入ったりしたのは、その時の思いが後を引いていたからなのでしょう。サラリーマンになってからは、落語立川流のCコースに入門しました。
立川流には正式入門のAコースから素人さんに落語を教えるCコースまであります。Cコースはいわば演者とファンが直接話をできる場所。ここでは師匠も優しいので、師匠を「いい人だなあ」と思ってしまう…(笑)。しかし、Aコースに入門して弟子になると、徒弟制度の一番下っ端についたわけですから、それはそれは厳しかったです。
正式入門してからは、鞄持ちをしている時に師匠だけに気をとられ「周りが見えていない」と怒鳴られ、道路を渡ろうと手を挙げて車を止めると「なんで人様に迷惑をかけるんだ」と叱られました。ほかの人に気を使わせないように心掛けながら、かつ師匠に尽くすという器用さが必要でした。もともとドジなところがあったので「やめちまえ」「消えろ」なんて言われるのもしょっちゅうでした。
立川流で「二つ目」になるには、古典落語50本・踊り・唄・講釈を覚えて、師匠の基準をクリアしないといけないのですが、この中の唄では特に苦労しました。後から考えれば、噺の中で唄う鼻唄ができればよかったのですが、ばか正直なものですから、正調なんとか流と看板を掲げている稽古場まで習いに行ったのです。この時のことは今でも「お前は遠回りしたなあ」と笑われますが、これも今では、実になっていると思います。高座でも、「THE CONVOY SHOW」のジュリさんと続けている「だんじゅり祭り」でも、幅の広い芸ができるようになったのは、この時のお陰ではないでしょうか。
師匠は本の中で「落語とは人間の業の肯定である」と言っています。人間のみっともない部分を凝縮して、笑い飛ばすのが落語。10年も前座修業を続けましたが、「これをやりとげれば落語ができる」と踏ん張ってきたのを、今、笑って話せるのが嬉しいですね。
地元の文化を地元で楽しもう
柳田佐久市長から電話をいただいたのをきっかけに、昨年からコスモホールや佐久市交流文化館浅科の館長を務めています。収容人数800名のホールに有名人を呼ぶのはなかなか難しいことですが、地元の発表会や講演会などを充実させて、「文化の地産地消」に取り組んでいきたいです。
今年の夏休みには現役高校生バンドのライブを行いました。今は都会と田舎で、レベルにもセンスにも差はないですから、これをきっかけに武道館を目指し、一流のプロに見てもらって打ちのめされて、それでも「負けねえぞ」ってさらに上を目指す子どもたちが増えれば最高だと思います。
昨年から始めたワンコイン寄席では、興業の後に小学1年生の子どもから「落語を覚えたい」という声が上がりました。そのうち全県の小学生を集めた豆落語会なんかができるようになるのが楽しみです。