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(2014年3月31日)
●日本画家 須藤 友丹さん
1964年東京都生まれ 1988年早稲田大学第一文学部卒業 2005年多摩美術大学造形表現学部卒業 06年春季創画展春季展賞受賞 07年多摩美術大学大学院修了 都内や佐久市近郊で個展やグループ展を開催 軽井沢町在住、創画会会友
小さい頃から絵を描くことは好きでしたが、美大に行くのは「特別な人」だと、ずっと思っていました。ですから大学は文学部へ。卒業後は予備校講師や高校の非常勤講師として勤め、絵と仕事は別なものと考えていたのです。背中を押してくれたのは、母の「絵をやりたいなら、きちんと勉強した方がいいんじゃない」というひと言。それまでも独学の水彩画で個展を開いたり、日本画の教室に通ったりしていたのですが、35歳で本格的に美大へ入学することを決めました。
日本画を専攻したのは、入学前に高島屋でたまたま観た創画会の団体展「創画展」がきっかけでした。現代日本画を描くこの会の、日本画ではあるけれどもそこに表現された新しい世界に一気に引き込まれ、この会に入りたい一心で美大に行ったようなものです。大学院1年生の時に初めて創画展に入選。それから毎年、年2回の創画展には何があっても必ず出品しています。
軽井沢へ越してきたのは10年前。涼しいところで病気の父の療養をと思って決めたのですが、移住前に父は亡くなり、三回忌を終えた後に母と住むようになりました。自宅の1階はほとんどがアトリエのスペース。2畳半ほどの大きさになる150号サイズの絵も、きちんと描けて全体を見られるようにと、母が設計を考えてくれました。
自然に恵まれた軽井沢は、インスピレーションの源でもあります。創作をずっと支えてくれた母は今年2月に他界しましたが、10年間過ごした軽井沢の風景をどこよりも気に入ってくれていたようです。「目の前の浅間の裾は動かずも 日の光にて山変わりゆく」…70年近く短歌を詠み続けていた母の最後の作品も、浅間山の風景を詠んだものでした。
今は結婚5年目になる画家の夫と2人暮らし。共に制作し、個展同時開催や2人展も行っています。作品についてはお互いに「褒めてのばす」ようにしていますよ(笑)。
スケッチは参考程度にして、記憶に焼きついたものを描くというやり方がほとんど。見て描くと、対象物に引きずられて描きたいイメージや肌で感じられる気配が消えてしまう気がするので。抽象的なモチーフが多いですが、画面全体から受け取るイメージと見る人の記憶とが結びついて、何か感じてもらえると嬉しいです。
創作活動はたいてい午前中に行いますが、展示会前や出品の締め切り前は1日中アトリエに籠っていることも。子どもの頃から夏休みの宿題は最後の2日で一気にやるタイプだったのですが、それが今でも続いているようです。
車が苦手なので、外出はもっぱら徒歩か電車。自宅の周囲にはかわいいカフェやギャラリーなどが多いので、路地をあちこち歩きながら出かけています。ほんのわずかな季節の変化も、軽井沢ではすぐにわかるのが魅力ですね。
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須藤 友丹さん
1964年東京都生まれ 1988年早稲田大学第一文学部卒業 2005年多摩美術大学造形表現学部卒業 06年春季創画展春季展賞受賞 07年多摩美術大学大学院修了 都内や佐久市近郊で個展やグループ展を開催 軽井沢町在住、創画会会友
30代から本格的な絵の世界へ
小さい頃から絵を描くことは好きでしたが、美大に行くのは「特別な人」だと、ずっと思っていました。ですから大学は文学部へ。卒業後は予備校講師や高校の非常勤講師として勤め、絵と仕事は別なものと考えていたのです。背中を押してくれたのは、母の「絵をやりたいなら、きちんと勉強した方がいいんじゃない」というひと言。それまでも独学の水彩画で個展を開いたり、日本画の教室に通ったりしていたのですが、35歳で本格的に美大へ入学することを決めました。
日本画を専攻したのは、入学前に高島屋でたまたま観た創画会の団体展「創画展」がきっかけでした。現代日本画を描くこの会の、日本画ではあるけれどもそこに表現された新しい世界に一気に引き込まれ、この会に入りたい一心で美大に行ったようなものです。大学院1年生の時に初めて創画展に入選。それから毎年、年2回の創画展には何があっても必ず出品しています。
軽井沢へ越してきたのは10年前。涼しいところで病気の父の療養をと思って決めたのですが、移住前に父は亡くなり、三回忌を終えた後に母と住むようになりました。自宅の1階はほとんどがアトリエのスペース。2畳半ほどの大きさになる150号サイズの絵も、きちんと描けて全体を見られるようにと、母が設計を考えてくれました。
自然に恵まれた軽井沢は、インスピレーションの源でもあります。創作をずっと支えてくれた母は今年2月に他界しましたが、10年間過ごした軽井沢の風景をどこよりも気に入ってくれていたようです。「目の前の浅間の裾は動かずも 日の光にて山変わりゆく」…70年近く短歌を詠み続けていた母の最後の作品も、浅間山の風景を詠んだものでした。
今は結婚5年目になる画家の夫と2人暮らし。共に制作し、個展同時開催や2人展も行っています。作品についてはお互いに「褒めてのばす」ようにしていますよ(笑)。
記憶の手触りを描く
創作活動はたいてい午前中に行いますが、展示会前や出品の締め切り前は1日中アトリエに籠っていることも。子どもの頃から夏休みの宿題は最後の2日で一気にやるタイプだったのですが、それが今でも続いているようです。
車が苦手なので、外出はもっぱら徒歩か電車。自宅の周囲にはかわいいカフェやギャラリーなどが多いので、路地をあちこち歩きながら出かけています。ほんのわずかな季節の変化も、軽井沢ではすぐにわかるのが魅力ですね。