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(2014年2月28日)
●日本舞踊「西川流」名取 関口 和真さん
2000年佐久市横根生まれ 2003年3歳で西川流・西川扇己珠師範に入門。小学生の頃からキングレコード全国舞踊大会等で踊りを披露。2013年西川流名取「西川扇真珠」となった。平根小学校卒業、現在、浅間中学校1年生
西川流は、五大流派のひとつに数えられる日本舞踊の流派。江戸・元禄年間に興ったといわれ、日本舞踊の流派の中では最も古いものです。流派を興した初代・西川仙蔵は能の囃子方から歌舞伎の鳴物師を経て、舞踊の道に入り、江戸時代に数々の代表作を生み出したそう。宗家家元は代々、西川扇蔵を名乗り、現在の10世扇蔵は1999年に人間国宝に選ばれています。 日本舞踊を始めたのは3歳の時。父母が仕事のため、祖父が保育園の送り迎えをしてくれたのですが、その時の車の中でよくねだって邦楽をかけてもらっていたそうです。特に津軽三味線が好きで、何度も聞いていたとのこと。祖父も民謡や演歌が好きだったので、その影響だと思います。自宅にお客さんが来たときも、曲に合わせてよく踊っていたそうで、祖父の知り合いから西川流の西川扇己珠先生を紹介していただいたのです。
習い始めの頃のことはあまり覚えていませんが、踊ること自体はとても好き。特に「大和楽」「松づくし」などの古典ものが好きです。腰を落として、手の先の動きひとつ、足の入れ込みひとつに気を配り、見た人が感動してくれる踊りをしたいと思います。小学校に入学した頃から東京・メルパルクホールで開かれる「キングレコード全国舞踊大会」など大きな舞台に立つ機会を毎年いただいているのも、とても良い経験。いつもあまり緊張せず、楽しんで舞えています。 ただ一度、小学2年生の時に友達がみんな野球を始めたので、自分も踊りをやめて野球をやろうと思ったことがありました。西川流甲信越支部内では4年に1度、扇十郎先生主催の「美影会」という大きな発表会が佐久市コスモホールで開かれるので、それを最後の舞台にするつもりでいたのです。けれども踊り終えた時の拍手がすごくて、こんなに見てもらえるならずっと続けていこうと、その時に決意しました。
名取試験は昨年10月、甲信越支部長の西川扇十郎先生の取り立てにより、受けることになりました。稽古はいつも週1回、30分から長い時で3時間ほどですが、試験前は毎日必ず自宅で反復して備えました。試験当日は宗家・扇蔵先生や次期宗家、理事の先生たちがずらりと10人くらい並ぶ前で、課題の2曲を披露。受験者16人のうち子どもは6人、男性はひとりでしたが、緊張せず、稽古通りに舞えた実感がありました。 今後の目標は3年後、師範の資格を取ること。さらに将来的には国立劇場の舞台に立てるような踊り手を目指したいです。西川流の名取は全国で6000人ほどですが、男性はそのうち600人に満たないので、男性らしい迫力ある曲も積極的に取り入れていきたいと思います。
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関口 和真さん
2000年佐久市横根生まれ 2003年3歳で西川流・西川扇己珠師範に入門。小学生の頃からキングレコード全国舞踊大会等で踊りを披露。2013年西川流名取「西川扇真珠」となった。平根小学校卒業、現在、浅間中学校1年生
小さな頃から邦楽好き
西川流は、五大流派のひとつに数えられる日本舞踊の流派。江戸・元禄年間に興ったといわれ、日本舞踊の流派の中では最も古いものです。流派を興した初代・西川仙蔵は能の囃子方から歌舞伎の鳴物師を経て、舞踊の道に入り、江戸時代に数々の代表作を生み出したそう。宗家家元は代々、西川扇蔵を名乗り、現在の10世扇蔵は1999年に人間国宝に選ばれています。
日本舞踊を始めたのは3歳の時。父母が仕事のため、祖父が保育園の送り迎えをしてくれたのですが、その時の車の中でよくねだって邦楽をかけてもらっていたそうです。特に津軽三味線が好きで、何度も聞いていたとのこと。祖父も民謡や演歌が好きだったので、その影響だと思います。自宅にお客さんが来たときも、曲に合わせてよく踊っていたそうで、祖父の知り合いから西川流の西川扇己珠先生を紹介していただいたのです。
習い始めの頃のことはあまり覚えていませんが、踊ること自体はとても好き。特に「大和楽」「松づくし」などの古典ものが好きです。腰を落として、手の先の動きひとつ、足の入れ込みひとつに気を配り、見た人が感動してくれる踊りをしたいと思います。小学校に入学した頃から東京・メルパルクホールで開かれる「キングレコード全国舞踊大会」など大きな舞台に立つ機会を毎年いただいているのも、とても良い経験。いつもあまり緊張せず、楽しんで舞えています。
ただ一度、小学2年生の時に友達がみんな野球を始めたので、自分も踊りをやめて野球をやろうと思ったことがありました。西川流甲信越支部内では4年に1度、扇十郎先生主催の「美影会」という大きな発表会が佐久市コスモホールで開かれるので、それを最後の舞台にするつもりでいたのです。けれども踊り終えた時の拍手がすごくて、こんなに見てもらえるならずっと続けていこうと、その時に決意しました。
名取試験は昨年10月、甲信越支部長の西川扇十郎先生の取り立てにより、受けることになりました。稽古はいつも週1回、30分から長い時で3時間ほどですが、試験前は毎日必ず自宅で反復して備えました。試験当日は宗家・扇蔵先生や次期宗家、理事の先生たちがずらりと10人くらい並ぶ前で、課題の2曲を披露。受験者16人のうち子どもは6人、男性はひとりでしたが、緊張せず、稽古通りに舞えた実感がありました。
今後の目標は3年後、師範の資格を取ること。さらに将来的には国立劇場の舞台に立てるような踊り手を目指したいです。西川流の名取は全国で6000人ほどですが、男性はそのうち600人に満たないので、男性らしい迫力ある曲も積極的に取り入れていきたいと思います。