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(2010年11月13日)
佐久警察署長
中嶋 豊さん
1952年佐久穂町生まれ 71年長野県警察学校入校 76年県警山岳遭難救助隊員 チロル山岳救助隊で単身山岳救助技術を学び、県警ヘリ・県政ヘリ導入時に県警航空隊勤務 県警山岳遭難救助隊長、高速隊長、岡谷署長、本部地域課長を経て、2010年3月より佐久警察署長
母親が交通安全協会の役員だったため、両親ともに警察への理解が深く、「人のためになる仕事をしたら」と勧めてくれたのが警察官になるきっかけでした。自分でも正義感の強い方だと思っていたので、高校卒業後に迷う事なく警察学校へ。それから40年、警察官をやめたいと思ったことは一度もありません。東信での勤務は、初めて上田駅前交番に勤めて以来39年ぶり。岩村田高校に通っていたので、佐久署周辺には懐かしさがありました。4月に県警の組織再編があり、佐久署は望月署・南佐久署を統合して県下4番目の大きな組織になりました。今後も地元の犯罪や事故抑止に一層力を入れていくつもりです。
今まで県内22カ所の勤務地を廻りましたが、76年からの山岳救助は特に印象深いものでした。救助隊を希望したのは穂高連峰で山の楽しさを知ったのがきっかけ。本格的に登山を始めて1年位の時だったので、救助隊に入隊できたのは運が良かったのだと思います(笑)。その後、オーストリア・スイス・西ドイツに派遣され、チロル山岳救助隊で山岳救助やヘリ救助の技術を学びました。今でこそ県警の山岳救助技術は世界に誇るものですが、当時はヨーロッパが最先端。ドイツ語でのコミュニケーションに四苦八苦しましたが、この時に得た経験はその後とても役に立ちました。ヨーロッパの現場を見てきた経験から、県警ヘリや県政ヘリの導入時に、航空隊でレスキューを担当。初代の県警ヘリは標高3千mで活躍するにはパワー不足で、当時は「飛べないヘリ」等と言われました。ケーブルの長さが足りず宙づりで救助をしたり、北穂の山頂で燃料ランプが点滅したり、様々な苦労がありました。それでも人の命を救う仕事は、「自分たちにしかできない」という使命感とともに、とても魅力的なものでした。
新佐久署では、犯罪や事故を発生前に抑止することに力を入れています。1市4町4村という広い管轄区を約200名で対応するため、制服警察官や赤色灯をつけたパトカーによるパトロールを強化。これは、犯罪を未然に防ぐとともに、夜間や休日でも即時、的確に事案に対応できるようにするためでもあります。警察は安全協会や防犯協会等の団体と連携し活動していますが、治安維持には住民の協力も不可欠です。例えば、交通事故は運転者のミスと交通ルール違反によるものが大半なので、運転マナー、交通マナーを一人ひとりが意識することで抑止につながるのです。
休日は山に登るのが一番のストレス解消で、県内の里山歩きを楽しんでいます。登った山は地図を描き、一部はHP「信州山歩きマップ」に掲載しています。最初は簡単な地図でしたが、色をつけ、絵やコメントを加えるうちに、山小屋のパンフレットや里山のイラストマップも作るようになりました。HPのアクセスは55万件を突破し、山で「マップ見てますよ」と声をかけられたり、遭難事故の捜索に役立てたりすることもありました。最近は、ポールウォーキング協会のベーシックインストラクターの資格を取り、署内にクラブを設立。今シーズンは浅間山や荒船山、本沢温泉などへ出かけました。佐久地域には魅力的な山城跡も多いので、今後こちらも歩いてみたいと思っています。
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中嶋 豊さん
1952年佐久穂町生まれ 71年長野県警察学校入校 76年県警山岳遭難救助隊員 チロル山岳救助隊で単身山岳救助技術を学び、県警ヘリ・県政ヘリ導入時に県警航空隊勤務 県警山岳遭難救助隊長、高速隊長、岡谷署長、本部地域課長を経て、2010年3月より佐久警察署長
故郷の安全を全力で守る
母親が交通安全協会の役員だったため、両親ともに警察への理解が深く、「人のためになる仕事をしたら」と勧めてくれたのが警察官になるきっかけでした。
自分でも正義感の強い方だと思っていたので、高校卒業後に迷う事なく警察学校へ。それから40年、警察官をやめたいと思ったことは一度もありません。
東信での勤務は、初めて上田駅前交番に勤めて以来39年ぶり。岩村田高校に通っていたので、佐久署周辺には懐かしさがありました。
4月に県警の組織再編があり、佐久署は望月署・南佐久署を統合して県下4番目の大きな組織になりました。今後も地元の犯罪や事故抑止に一層力を入れていくつもりです。
山岳救助のエキスパートとして
今まで県内22カ所の勤務地を廻りましたが、76年からの山岳救助は特に印象深いものでした。
救助隊を希望したのは穂高連峰で山の楽しさを知ったのがきっかけ。本格的に登山を始めて1年位の時だったので、救助隊に入隊できたのは運が良かったのだと思います(笑)。
その後、オーストリア・スイス・西ドイツに派遣され、チロル山岳救助隊で山岳救助やヘリ救助の技術を学びました。今でこそ県警の山岳救助技術は世界に誇るものですが、当時はヨーロッパが最先端。ドイツ語でのコミュニケーションに四苦八苦しましたが、この時に得た経験はその後とても役に立ちました。
ヨーロッパの現場を見てきた経験から、県警ヘリや県政ヘリの導入時に、航空隊でレスキューを担当。初代の県警ヘリは標高3千mで活躍するにはパワー不足で、当時は「飛べないヘリ」等と言われました。ケーブルの長さが足りず宙づりで救助をしたり、北穂の山頂で燃料ランプが点滅したり、様々な苦労がありました。
それでも人の命を救う仕事は、「自分たちにしかできない」という使命感とともに、とても魅力的なものでした。
官民一体で犯罪・事故抑止
新佐久署では、犯罪や事故を発生前に抑止することに力を入れています。1市4町4村という広い管轄区を約200名で対応するため、制服警察官や赤色灯をつけたパトカーによるパトロールを強化。これは、犯罪を未然に防ぐとともに、夜間や休日でも即時、的確に事案に対応できるようにするためでもあります。
警察は安全協会や防犯協会等の団体と連携し活動していますが、治安維持には住民の協力も不可欠です。例えば、交通事故は運転者のミスと交通ルール違反によるものが大半なので、運転マナー、交通マナーを一人ひとりが意識することで抑止につながるのです。
休日は山に登るのが一番のストレス解消で、県内の里山歩きを楽しんでいます。登った山は地図を描き、一部はHP「信州山歩きマップ」に掲載しています。
最初は簡単な地図でしたが、色をつけ、絵やコメントを加えるうちに、山小屋のパンフレットや里山のイラストマップも作るようになりました。
HPのアクセスは55万件を突破し、山で「マップ見てますよ」と声をかけられたり、遭難事故の捜索に役立てたりすることもありました。
最近は、ポールウォーキング協会のベーシックインストラクターの資格を取り、署内にクラブを設立。今シーズンは浅間山や荒船山、本沢温泉などへ出かけました。佐久地域には魅力的な山城跡も多いので、今後こちらも歩いてみたいと思っています。