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(2010年12月22日)
ABCインターナショナルスクール学長
市川 フロスト 和美さん
1971年東京生まれ 軽井沢中学在学中に高松宮杯英語弁論大会長野県代表 小諸高校、東京国際大学を経て豪州・クイーンズランド州で教師・大学講師として勤務 サザンクイーンズランド応用言語学科修士号習得 2009年ABCインターナショナルスクール開校
初めての英語との出会いは2、3歳の頃聞いた両親のレコード。不思議なリズムの歌を繰り返し聞きながら「いつ、この歌の意味がわかるんだろう」と考えていました。それが英語という言語につながったのは、家族でハワイ旅行に出かけた小学5年生の時でした。英会話を習い始めた母親が現地の人と話しているのを聞いて「すごい!」「私にもあの歌がわかるかも!」と思い、一気に興味をひかれたのです。中学1年生の時には、イギリスのサマースクールを探し出し、自分で手続きを進め、初めてひとりで海外へと飛び立ちました。「父親が酔っている時を狙って承諾させたんです。怖いもの知らずだったんですね」と笑う和美さんにとって、2週間の経験は今まで知らなかった世界に出会ったという面白さに溢れていました。高校時代にも同じスクールで1カ月を過ごしましたが、その時に実感したのは「自分が日本について何も知らない」という事実。さまざまな国の同級生が自国のことを誇らしく語る中で、自分ももっと日本や世界を理解したいと願うようになったのです。
大学卒業後は、オーストラリア・クイーンズランド州の教育省で応用言語学の研究を深める一方、人口400人ほどのグーメリという西岸の町に教師として赴任しました。現場で子どもたちと触れていなければ教育は語れないと考えたからです。担当教科は社会と日本語、ESL(ネイティブでない生徒に英語を教えるクラス)。馬が人間よりも多く、アパートの扉を開けると目の前を馬が走っているような素朴な土地をベースに、州内の5~6校を受け持ちました。400㎞~500㎞離れた地域の生徒たちとコンピュータを通して授業ができるように、遠隔教育システムを整備し始めたのもこの頃です。精力的に教育の仕事を続ける中で、日本人留学生が授業についてこられない現実に愕然としました。英語をしっかり習得し、頭も良いはずの彼らが、クラスで落ちこぼれてしまうのはなぜなのか。彼らは算数や社会に関する英語を知らないために、授業が理解できなかったのです。英語そのものを学ぶのではなく、英語を道具として何かを習得することが大切なのだと改めて感じました。
昨年帰国し、パートナーのマーティンさんと共に、長年の夢だったインターナショナルスクールを立ち上げました。ここでは教育手法として「イマージョン教育」を取り入れています。これは未習得の言語で他教科を学び、その言語に浸りきって、相手の国の文化や考え方を理解していく方法です。子どもたちは数学と社会を、大人は自然文化や歴史などを英語で学びながら、自然に他国の文化に触れ、自分で考える力を身につけていきます。就学前の子どもたちが楽しんでいるのはオーストラリア伝統の歌や手遊び。「真の国際人とは、国際舞台で日本人として恥じることなく振る舞える人のこと」というサマースクール時代の気づきを元に、日本の風習や文化についても英語で学習しています。「ペーパークラフトやスクラップブッキングが大好き」という和美さんは、英語のクラフトクラスも開講しました。子どもたちがクラスで学んでいる間、お母さんたちはかわいいアルバムやカード作りを通してお互いの交流を深めています。
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ABCインターナショナルスクール学長
市川 フロスト 和美さん
1971年東京生まれ 軽井沢中学在学中に高松宮杯英語弁論大会長野県代表 小諸高校、東京国際大学を経て豪州・クイーンズランド州で教師・大学講師として勤務 サザンクイーンズランド応用言語学科修士号習得 2009年ABCインターナショナルスクール開校
英語を通して世界を知る
初めての英語との出会いは2、3歳の頃聞いた両親のレコード。不思議なリズムの歌を繰り返し聞きながら「いつ、この歌の意味がわかるんだろう」と考えていました。それが英語という言語につながったのは、家族でハワイ旅行に出かけた小学5年生の時でした。英会話を習い始めた母親が現地の人と話しているのを聞いて「すごい!」「私にもあの歌がわかるかも!」と思い、一気に興味をひかれたのです。
中学1年生の時には、イギリスのサマースクールを探し出し、自分で手続きを進め、初めてひとりで海外へと飛び立ちました。「父親が酔っている時を狙って承諾させたんです。怖いもの知らずだったんですね」と笑う和美さんにとって、2週間の経験は今まで知らなかった世界に出会ったという面白さに溢れていました。高校時代にも同じスクールで1カ月を過ごしましたが、その時に実感したのは「自分が日本について何も知らない」という事実。さまざまな国の同級生が自国のことを誇らしく語る中で、自分ももっと日本や世界を理解したいと願うようになったのです。
教育研究者としての日々
大学卒業後は、オーストラリア・クイーンズランド州の教育省で応用言語学の研究を深める一方、人口400人ほどのグーメリという西岸の町に教師として赴任しました。現場で子どもたちと触れていなければ教育は語れないと考えたからです。担当教科は社会と日本語、ESL(ネイティブでない生徒に英語を教えるクラス)。馬が人間よりも多く、アパートの扉を開けると目の前を馬が走っているような素朴な土地をベースに、州内の5~6校を受け持ちました。400㎞~500㎞離れた地域の生徒たちとコンピュータを通して授業ができるように、遠隔教育システムを整備し始めたのもこの頃です。
精力的に教育の仕事を続ける中で、日本人留学生が授業についてこられない現実に愕然としました。英語をしっかり習得し、頭も良いはずの彼らが、クラスで落ちこぼれてしまうのはなぜなのか。彼らは算数や社会に関する英語を知らないために、授業が理解できなかったのです。英語そのものを学ぶのではなく、英語を道具として何かを習得することが大切なのだと改めて感じました。
イマージョン教育を通して
昨年帰国し、パートナーのマーティンさんと共に、長年の夢だったインターナショナルスクールを立ち上げました。ここでは教育手法として「イマージョン教育」を取り入れています。これは未習得の言語で他教科を学び、その言語に浸りきって、相手の国の文化や考え方を理解していく方法です。子どもたちは数学と社会を、大人は自然文化や歴史などを英語で学びながら、自然に他国の文化に触れ、自分で考える力を身につけていきます。就学前の子どもたちが楽しんでいるのはオーストラリア伝統の歌や手遊び。「真の国際人とは、国際舞台で日本人として恥じることなく振る舞える人のこと」というサマースクール時代の気づきを元に、日本の風習や文化についても英語で学習しています。
「ペーパークラフトやスクラップブッキングが大好き」という和美さんは、英語のクラフトクラスも開講しました。子どもたちがクラスで学んでいる間、お母さんたちはかわいいアルバムやカード作りを通してお互いの交流を深めています。