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(2019年12月21日)
さとう しょう 2001年佐久市中込生まれ 野沢南高等学校3年生 5歳の頃からヒップホップダンスを習い、小学3年生からブレイクダンスを始める 中学3年生の時には中国で行われた世界大会で優勝その他多くの大会で優勝、入賞を経験している
ブレイクダンスに衝撃
保育園に通っていた5歳の頃からヒップホップダンスを習っていましたが、小学3年生の時に長野市のダンスコンテストで見たブレイクダンスに一目惚れ。「こんなにカッコイイことをできる人が近くにいるんだ」と衝撃を受けました。踊っていた人に母親が声をかけ、教えてもらえることになりました。それから小学6年生まで週に2日のペースで東御市のスタジオへレッスンに通いました。 中学生になってからは世界大会に出ているトップダンサーの指導を受けるため、山梨県や横浜市に通いました。最初はスタジオの中でもダントツに下手でした。母親には「やめてもいいよ」と言われたこともありましたが、技ができるようになるのが楽しいのと、何よりダンスが好きという理由からこれまで続けてこられたのだと思います。 ブレイクダンスは相手と向かい合って踊りを披露し合い、勝敗を決めるダンスバトルです。振りを覚えて踊るより、即興で自由に踊るのが好きな自分としては、準備をし過ぎない適度に適当なところが良い方向に出ているのだと思います。
文化祭ではクラスの仲間と一緒にブレイクダンスを披露しました
世界大会で準優勝
7月には東京で開催された「ブイユー・ペサック・バトル・アリーナ」予選大会Uー21部門に出場し優勝。日本代表として11月にフランスで行われた世界大会に出場しました。Uー21部門・一般部門・パワームーブ(大技)部門の各優勝者3名で世界大会に臨み、3on3で対戦しました。結果は決勝戦でロシアチームに負けてしまい準優勝。1回戦突破を目標にしていたので、終わった直後は「ここまでこられたのだから良かった」と思いましたが、時間が経つにつれ、「もっとこうすれば良かった」、「もっと良い踊りができたのでは」と思うようになり、悔しさがこみ上げてきました。2020年はリベンジしたいです。 大会に出場するだけなく、ゲストバトラーとして各地のダンス大会に呼ばれ、踊りを披露することもあります。腰と膝の関節が柔らかいという長所を生かし、他の人がやらないような動きや技で勝負するように心掛けています。
フランスで行われた世界大会での一コマ
ブレイクダンスを広めたい
中学、高校とも部活には入らず、ブレイクダンスに打ち込んできました。家には廻る練習ができる充分なスペースがないので、放課後に教室か格技室の一角で廻る練習を中心に行います。家では畳の部屋にフロアマットを敷き、イヤホンをつけてひたすら踊ります。練習部屋が2階なので家族は迷惑かもしれません。応援してくれる人たちのためにも頑張りたいと思っています。 4月には東京の大学に進学します。地元にはブレイクダンスをしたいと思ってもできる場所があまりなく、練習も1人で行うことがほとんどです。新たな環境で同じ目標を持つ人たちと練習をするのがとても楽しみです。大会で結果を出し、東京で活躍できるダンサーになるのが目標。地元が好きなので、東京でやりきった後は地元でブレイクダンスを広める活動に力を入れ、ブレイクダンスをしたい人にとってチャンスのある場所を作っていきたいと考えています。
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さとう しょう 2001年佐久市中込生まれ 野沢南高等学校3年生 5歳の頃からヒップホップダンスを習い、小学3年生からブレイクダンスを始める 中学3年生の時には中国で行われた世界大会で優勝その他多くの大会で優勝、入賞を経験している
ブレイクダンスに衝撃
保育園に通っていた5歳の頃からヒップホップダンスを習っていましたが、小学3年生の時に長野市のダンスコンテストで見たブレイクダンスに一目惚れ。「こんなにカッコイイことをできる人が近くにいるんだ」と衝撃を受けました。踊っていた人に母親が声をかけ、教えてもらえることになりました。それから小学6年生まで週に2日のペースで東御市のスタジオへレッスンに通いました。
中学生になってからは世界大会に出ているトップダンサーの指導を受けるため、山梨県や横浜市に通いました。最初はスタジオの中でもダントツに下手でした。母親には「やめてもいいよ」と言われたこともありましたが、技ができるようになるのが楽しいのと、何よりダンスが好きという理由からこれまで続けてこられたのだと思います。
ブレイクダンスは相手と向かい合って踊りを披露し合い、勝敗を決めるダンスバトルです。振りを覚えて踊るより、即興で自由に踊るのが好きな自分としては、準備をし過ぎない適度に適当なところが良い方向に出ているのだと思います。
文化祭ではクラスの仲間と一緒にブレイクダンスを披露しました
世界大会で準優勝
7月には東京で開催された「ブイユー・ペサック・バトル・アリーナ」予選大会Uー21部門に出場し優勝。日本代表として11月にフランスで行われた世界大会に出場しました。Uー21部門・一般部門・パワームーブ(大技)部門の各優勝者3名で世界大会に臨み、3on3で対戦しました。結果は決勝戦でロシアチームに負けてしまい準優勝。1回戦突破を目標にしていたので、終わった直後は「ここまでこられたのだから良かった」と思いましたが、時間が経つにつれ、「もっとこうすれば良かった」、「もっと良い踊りができたのでは」と思うようになり、悔しさがこみ上げてきました。2020年はリベンジしたいです。
大会に出場するだけなく、ゲストバトラーとして各地のダンス大会に呼ばれ、踊りを披露することもあります。腰と膝の関節が柔らかいという長所を生かし、他の人がやらないような動きや技で勝負するように心掛けています。
フランスで行われた世界大会での一コマ
ブレイクダンスを広めたい
中学、高校とも部活には入らず、ブレイクダンスに打ち込んできました。家には廻る練習ができる充分なスペースがないので、放課後に教室か格技室の一角で廻る練習を中心に行います。家では畳の部屋にフロアマットを敷き、イヤホンをつけてひたすら踊ります。練習部屋が2階なので家族は迷惑かもしれません。応援してくれる人たちのためにも頑張りたいと思っています。
4月には東京の大学に進学します。地元にはブレイクダンスをしたいと思ってもできる場所があまりなく、練習も1人で行うことがほとんどです。新たな環境で同じ目標を持つ人たちと練習をするのがとても楽しみです。大会で結果を出し、東京で活躍できるダンサーになるのが目標。地元が好きなので、東京でやりきった後は地元でブレイクダンスを広める活動に力を入れ、ブレイクダンスをしたい人にとってチャンスのある場所を作っていきたいと考えています。