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(2014年7月31日)
「オリンピックの聖火トーチを作れないか」。当時社員15名の大原工業にJOC(日本オリンピック委員会)から依頼が来たのは1997年2月のこと。グラフィックデザインをもとに、1年後の長野五輪に間に合わせてほしいという、業界としてはかなり厳しい話でした。しかし代表の春原晃夫さんは「やります」と即答したそう。「むしろ他社がなぜ断るのかが分からなかった。日頃の積み重ねからできるという自信はあった」。ちょうど会社を立ち上げて15年目という節目。自動車部品から医療機器、ロボット部品など幅広い分野の鋳造・加工を請け負ってきた春原さんにとって、これまで培ってきた最高の技術を、世界に知ってもらう大きなチャンスだったのです。 長野五輪のトーチは、松明(たいまつ)を模したアルミ製のスタイリッシュなデザイン。雪の結晶を思わせる5つの板の組み方や、シルバーからゴールドへグラデーションする塗装など、さまざまに苦心しながらも、夏にはJOCからの発注を受け、1700本を一気に製作。社員も春原さんの家族も総出で製作に当たり、年末も休まずにオリンピックの舞台へと、トーチを届けました。 春原さんのヒットの法則は「ノーと言わない精神」。やるやらないではなく、どうしたらできるかを考えることからスタートし、常に次のハードルを目指すのが、社内を貫く理念となっています。長野五輪後も顧客の要望に応えるため、MC加工や旋盤加工の最新機器を導入しながら、常により精度の高い加工を目指しています。 今年6月、米ニューヨークに、高さ6mに拡大された長野五輪トーチが出現しました。世界一大きな五輪トーチのギネス記録を作ろうと、アメリカ人男性が企画し、歴代トーチで「一番美しい」と長野五輪のトーチを選んだもの。「世界にも我々の技術や感性が認められたようで、聖火が点った時と同じくらい嬉しいですね」と、現地の完成披露に出席した春原さんご夫婦は感慨深げに話してくれました。
月刊ぷらざ編集部(株式会社信州広告社)
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常に高みを目指す姿勢が
メイドイン大原の品質を生む
「オリンピックの聖火トーチを作れないか」。当時社員15名の大原工業にJOC(日本オリンピック委員会)から依頼が来たのは1997年2月のこと。グラフィックデザインをもとに、1年後の長野五輪に間に合わせてほしいという、業界としてはかなり厳しい話でした。しかし代表の春原晃夫さんは「やります」と即答したそう。「むしろ他社がなぜ断るのかが分からなかった。日頃の積み重ねからできるという自信はあった」。ちょうど会社を立ち上げて15年目という節目。
自動車部品から医療機器、ロボット部品など幅広い分野の鋳造・加工を請け負ってきた春原さんにとって、これまで培ってきた最高の技術を、世界に知ってもらう大きなチャンスだったのです。
JOCからの発注を受け、1700本を一気に製作。社員も春原さんの家族も総出で製作に当たり、年末も休まずにオリンピックの舞台へと、トーチを届けました。
を導入しながら、常により精度の高い加工を目指しています。
しい」と長野五輪のトーチを選んだもの。「世界にも我々の技術や感性が認められたようで、聖火が点った時と同じくらい嬉しいですね」と、現地の完成披露に出席した春原さんご夫婦は感慨深げに話してくれました。
長野五輪のトーチは、松明(たいまつ)を模したアルミ製のスタイリッシュなデザイン。雪の結晶を思わせる5つの板の組み方や、シルバーからゴールドへグラデーションする塗装など、さまざまに苦心しながらも、夏には
春原さんのヒットの法則は「ノーと言わない精神」。やるやらないではなく、どうしたらできるかを考えることからスタートし、常に次のハードルを目指すのが、社内を貫く理念となっています。長野五輪後も顧客の要望に応えるため、MC加工や旋盤加工の最新機器
今年6月、米ニューヨークに、高さ6mに拡大された長野五輪トーチが出現しました。世界一大きな五輪トーチのギネス記録を作ろうと、アメリカ人男性が企画し、歴代トーチで「一番美